2014,2,14、パソコンを開けてチェックしていると、迷惑メールの中に、「山城さん」というタイトルで、知らない人からメールが入っていました。
福島県の南相馬でビーニールハウスの中のテントが雪でつぶれ死亡されました、とい内容でした。すぐに賢治さんと結びつかず、イタズラかと思っていました。
次の日から、以前このブログで山城賢治さんのことを書いた箇所を読む人のグラフが急に増え、「山城賢治」で検索する人が急増しました。やっぱり・・・残念、無念、亡くなっておられたのです。その未知のお方は山城さんと知り合いで、わざわざ知らせてくださったのでした。ありがとうございました。
「山城さん、この寒さの中どこを歩いておられますか」というタイトルで2011年1月に書いたものです。https://stagebox.sakura.ne.jp/wp/?p=705
2月3日付けの読売新聞は概略次のように報じています。「福島県南相馬市原町区で10日雪の重みで崩れたビニールハウス内で死亡していた男性は島根県大田市、無職山城賢治(65)で胸部圧迫による窒息死亡だったことが12日、南相馬署の調べでわかった」
山城さんは大田高校演劇部にもおられ、東京でも熱心に演劇活動をされて役者としても演出家としても実績を重ねておられました。インドへ3年行かれてヨガも習得、日本へ帰ってからは北陸を通ってリヤカーを引いて大田へ帰ってこられました。大田市文化協会の主催で「鶴」を劇研空も加わって上演したとき、勝部義夫さんと一緒に演出をされました。劇研空も数回演技指導をのワークショップをお願いしました。
そして2010年の11月ごろ、またリヤカーを引いて山口、九州方面へ行かれたのでした。
その時は友人の子どもが苦しんでいた「再発性多発性軟骨炎」の難病の50万署名を訴えながらの旅でした。
まさか福島におられるとは思いもしませんでした。福島では荒れた土地をボランティアの人たちと一緒に耕して花を植えたり、ヨガを教えたりしておられたそうです。
厳しいものを持っておられましたが、やさしい笑顔が忘れられません。心が広くて深く、ぼくの尺度では測れない大きな人でした。
普通はそんなに雪が降るところではないそうです。それが油断になったのでしょうか。未知の方は写真をおくってくださいました。紹介させていただきました。遺骨はそのうち東京からふるさとへ帰るそうです。
東北大震災や福島の原発事故を見かねて、ボランティアとして活動されていたのです。異境の地ですが、多くの人たちに見送られてお別れ会が開かれたそうです。みなさんに心からお礼を言いたいと思います。
賢治さん、おつかれさまでした。ありがとうございました。
山城さん、亡くなられたのですね。
さっき、山城さんの名刺を机の上で見かけたので、今はどうなっているのか気になって検索したところ、このページにたどり着きました。、
私が出会ったのは、四年前のツーリング中、道の駅いおりで野宿した時でした。
日本を一周したらヨガ修練道場を建てるんだと、夢を語ってくださいました。
あれから、大震災があって、福島で活動なされてたのですね。
ご冥福を祈ります。
コメント失礼しました。
コメント、ありがとうございました。
未知のお方に、少しでもお役に立てたとしたら幸せです。
道の駅いおりで野宿された時の山城さんの姿が浮かんできました。