『石見銀山旅日記』 10/28 公演 までの予定

10月になりました。今日は2日。早い早い。Time flies like an arrow. 川合町つくりセンターでの稽古は従来通り水曜日と金曜日ですが、10日はセンターの都合により使用できません。予定は次の通りです。

3,5,12,17,19.24,26、27(浜田でゲネプロ)、28(本番)、15日(月)の夜は石央文化ホールでリハが可能ですが、勤務があり遠いので、すはまくんが都合をつけて照明、音響の打ち合わせに行く予定にしています。では川合の町つくりセンターを紹介します。(では、とはどういうイミだ)

本日、浜田の石見演劇フェスタ事務局からパンフレットの校正のための原稿がメールで届きましたので紹介します。

上の字は小さくて読めませんので、大きくして紹介します。

あらすじ

商売をしながら、名所風俗を絵日記にして出版するため、江戸から大道商人が大森銀山へやって来ます。石見は「山また山の山の中」と小馬鹿にして来ましたが、次々とびっくりすることに出会います。歴史的な事実や記録は重視しながらも、遊び心を生かし、おもしろく石見銀山を紹介するために創った劇です。初代奉行・大久保長安が治めた慶長年間、石見銀山は最盛期でした。「士稼の人数20万、一日米穀を費やすこと1500石余、車馬の往来昼夜を分たず、家は家の上に建て、軒は軒の下に連なり」と『銀山旧記』にはあります。長安が死ぬと墓は暴かれ7人の子供は打ち首に。大道芸人は得意になって長安の最後を語ります。

劇研「空」のプロフィール

劇研「空」は平成12年、大田市で高校演劇経験者を中心に発足しました。現在は日頃の活動に参加できるメンバーを核に、可能な人たちに呼びかけて公演をしています。人数不足の上、体制も不十分、解体の危機を抱えていますが、「地元に発表の場がある喜び」を消さないよう、身の丈に合った活動を考えています。目標は「感動のある舞台の創造」、「地域の歴史・文化の掘り起こしと再創造」。詩の朗読や語りにも挑戦。民話などの作品化、朗読や劇の脚本作りにも挑戦し、群読「石見銀山歴史物語」、朗読劇「スーホーの白い馬」、劇「経家最後の手紙」 などを小、中学校に提供し一緒に舞台化しました。これまで30数回の大小様々な舞台発表に関わってきました。

チラシはまだ余分があります。先日益田で島根文芸フェスタがあり、浜田の人に会いました。チラシを渡すと、「28日には観にいくけぇな」とのうれしい言葉。浜田や江津で知り合いがあるメンバーはチラシとチケットを送ってください。チケットは招待もOkですし、当日封筒に千円入れて受付に出してもらうようにしてもOkです。

チケットやパンフが欲しい人には送ります。メールか電話をください。

では、カンケイナイ話しをちょっと:先月千葉県立市川東高校から手紙と台本が届きました。『卒業写真』の上演許可願いです。大田高校演劇部が県大会へ行ったときの創作劇です。覚えていますか?あの残念無念なラスト。

では(?)、最後の追い込みです。がんばりましょう。

 

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

「『石見銀山旅日記』 10/28 公演 までの予定」への2件のフィードバック

  1. 『卒業写真』!
    憶えていますとも、あの残念なラスト・・・。
    10数年たっても忘れられませんよ。

    それはそうと、それだけ経ってもまだ上演したいという高校があるのですか。
    今でも通用するということは、すごいことですね。

    1. あの劇は、ラストのラスト、ラスト5秒のどんでん返しにすべてが懸かっていましたしたからね。前日最後のリハではOK、バッチリ!。そのまま宿へ帰り、翌朝最初の上演でしたね。緞帳が降り初めても、ラストのあの言葉が会場に流れないので、客席で冷や汗がたらたら。終わって、舞台へ上がり、どうしたん?というと、「マイクの声が流れなかったのです」。なんで?なんで?調べてもらったら、ワイヤーがマイクの中で切れていました!なんで?
      国立劇場舞台監督の持田諒先生へ後日このことを話したら、「舞台には魔物が住んでるからね」とひと言。

      先日、その読み返してみましたが、テンポがよく、会話もおもしろくて楽しかった。いじめが一向に減らないどころか増える状態で、学校が陰湿になり、人間関係にも神経を使ってお互いに疲れているという現状があるので、あの脚本に目が向いたのかもしれませんね。
      二年前には千葉のある高校が「また夏がきて」で地区を突破、中央大会へ出場しています。

      生命力のある普遍的な作品を書きたいものですね。難しいけどね。

コメントを残す