2012,09,11。やっと秋の門口に立っている気がします。昨日から涼しくなりました。雨も降り、畑の作物は大喜びしています。毎日茄子などに水をやってきましたが、やっぱり天然の雨の威力にはかないませぬ。
さてさて、9月9日は日曜日でしたが、都合がつく人だけで2時間ばかり立ち稽古をしました。寿禎、地下の女、九郎兵衞、船子を中心に代役で何度もやりました。つぎに申し込んでいる予定日は水と金です。センターの都合によっては中止になることもあります。7時からです。
9月12,15,19,26,28 です。
9月23日(日)には浜田の石央文化ホールで初めての打ち合わせや仕込み、舞台見学、点検、確認、後半は立ち稽古など予定通り行います。15日までに事務局へ台本、劇研空の紹介、全員の集合写真を送ってくれと、本日電話がありました。
以前から問い合わせているのですが、もう一度つじのことをお願いしました。
1.送った舞台装置は浜田のホールの材料で組み立てられるか。(材料がなければ作って運ばねばなりませぬ)
2.照明について質問していること:エフェクトマシーンはあるか。波や雲はだせるか。ソースホーはあるか。などです。さらに、照明プラン、音響プランを提出すれば、ホールの担当者で操作してもらうことが可能かどうか。(人不足で音響と照明が目下不在。wanted! darekaimasenuka)
22日夜は益田で文芸フェスタの講師歓迎会があります。途中で浜田に寄りホールへ行き、担当者と打ち合わせをして益田へ行く予定です。23日はフェスタで、午後は分科会があります。理事長という立場なので、いないと無責任!同時に劇研空のメンバーが浜田で集まり、リハをするのに演出係が不在!これまた無責任!どっちの無責任を取るべきや。
さてさてさて、文字ばっかりでは退屈なので貴重な写真をお見せしましょう。1か月前に温泉津から漁船に乗り、日本海から石見の山並みを眺めました。写真をパチパチ撮りましたが、晴れていても湿度が高かったのでしょう。霞がかかったような山並みでした。それでも、こんなにきれいに山が見える日は滅多にないんですよ、と船子さんがいわれました。
ご存知のお方はご存知の通り、右手の高い山は高山。左手の低い山は漢島(かな?)。浜に並ぶ家並みは仁万の町。南方の彼方に見えるのが銀峯山、またの名を仙の山。
神屋寿禎は486年のむかし、1526年、大永6年、博多から出雲大社の鷺浦銅山へ行く途中、仁万の沖から、この仙の山が不思議な光を発しているのを見たのです。(と「銀山旧記」には書いてあります)
早速本日(9/12)朝、石央文化ホールの担当者から電話がありました。ソースホー2台、エフェクトマシーン(波)、ディスクマシーン(雲)を借りて準備してくださるそうです。装置では、2尺1寸上がりの足と台を使えば傾斜はできるけど、二尺上がりのかげ段がない。開き足に平台を載せれば台はできるが時間が15分くらいかかるかもしれない。
ということで要望をかなえていただきました。感謝感謝です。種板の山は一種類借りて持参するつもりですが、雲と別の山はホールで借用していただくことになりました。実際には現場で組んでみないといけません。10分以内でセットしないとね。
22日の午後浜田のホールへ行くつもりでしたが、その日はコンサートが開催され、駄目でした。残念。どうするかな。
別の話:今朝プラスチックと壜を出しに行くと自治会長さんが言われました。
「琴の鳴る浜を益田で上演するんかな」
「・・・・?・・・いいえ、そうゆう話しはありませんけど・・・」
「あれはいい劇だったからぜひまたやってほしい。大田の宝ですよ」。
「ありがとうございます。あんな大規模な公演にはプロデューサーのような世話をする人がいないと簡単にはできません。劇の練習をしながら事務や交渉、金の工面、チケット販売、パンフレット作成、広告集め、練習場所の確保と交渉・・・みな勤務がありますし、劇研空だけであれだけのことをやるのは無理ですね。」
「確かに、そうゆう人が必要ですね。」
「今、10月に浜田で上演するために『石見銀山旅日記』の稽古をしるんです。江戸時代の初期に最も栄えた大森銀山のことが面白おかしく分かるように創った劇です。」
「そうですか。そうゆうのをぜひ大森でやってほしいですね。」
「そうですね。これなら劇研空のメンバーだけで気軽にできます。」
「大森にも劇場がほしいですね。」
「そうですね、昭和の初め頃には大森に大森座という芝居小屋があったそうですよ。それを久利町の有志が金を出して購入し、小学校北門の出口に移転して建築し、共楽座と呼ばれたそうです。この劇場は昭和30年に、三瓶浮き布湖畔にあった三瓶グリーンランドへ売却されたそうです。」
(あの三瓶グリーンランドにあった建物にこんな輝かしい歴史があったとは!!知っていましたか?)
「一つの劇を公演するためには、世話をしてくれるプロデューサーのような人が必要ですね。松江や出雲、益田には文化振興を担当する専門の人たちがいるからいろいろな企画やイベントができるんです。大田にはそんなのはありませんからね。この前の『琴の鳴る浜』は市民会館のスタッフが事務局を担当し、企画や調整、広告、宣伝、パンフ、練習場所提供、合唱団、劇団、風花、演奏家、作曲家、作詞家、脚本家、指揮者などとの交渉や打ち合わせ、チケット販売、当日の裏方の仕事など中心になってやってくれたからできたんです。」
「そうですね。そういう人が必要ですね。」
ありがたい話しです。こういう人たちがおられるとすれば、その気持ちや期待を無にしたくないですね。