2012/03/6、朝、新聞をめくっていると、こんな見出しに出会いました。「ダンサーJacky さん(大田出身)舞台やCM 幅広い活躍」。ダンサー、大田出身といえばあの美穂子さんにちがいない、でも なんで Jacky?と思いながら読んでいくと、間違いなし!大田高校演劇部出身、劇研「空」第5回公演「星空の卒業式~あの夏 校舎は原爆病院だった~」で主役を演じ観客に感動を与えた田中美穂子さん!!数年前東京からメールがきたことがありましたが、どうしているかな、といつも思っていました。強い夢とエネルギーがありましたから実力をつけて認められるようになったんですね。新聞を紹介させていただきましょう。
夜、新聞を読んでいたワイフさまが、「この写真の人は劇研空の原爆の劇へ出てくれた人じゃない?」とsaid. 「そうだよ。劇が好きだったし夢を持っていたからなぁ。夢がある人間は強いよね。いつか実現するもんね。あんた夢ある?」「・・・ない」「・・・・」「田中さんは劇が上手だったよね。弟役をやった高校生は今どうしとるん?」「福山へ行ったけど、どうしているかな」
あの公演から10年近く過ぎましたが、今でもしっかりと記憶に残っているんですね。
旧制大田中学校と大田高等女学校が広島陸軍病院の分院に指定され、600人も被災者が運ばれてきました。婦人会や女学生がお世話をしたのですが、99人が亡くなりました。パンフレットにはその時臨時看護婦になった勝部信子さんに体験記を書いていただいています。貴重な文章です。眠らせておくのはもったいない。その時の公演を報道した新聞を紹介させていただきます。
(写真は右から美穂子さん、晋吾くん、領太くん、田中志穂さん。この時には大田高校演劇部に声をかけ希望者に参加してもらいました。こういうお互いの協力体制を演劇部と作っていきたいと退職前から考えて実行していたのですが、今はもう演劇は廃部・・・平成15年3月22日の公演でしたがニュースは連日トップでアメリカのイラク攻撃が近いことを報じていました。世界が戦争前夜のような嫌な空気でした。この劇とどこか重なるところがありました。)
この時のパンフレットに美穂子さんは「大好きなおじいちゃん おばあちゃんへ」という題で、悩みや喜びや夢を書いています。こんな文章もあります。
「私が舞台に立つときには必ずみんなに宣伝して、みんなで見に来てくれたよね。美穂子それ知っとるけん、舞台はやめられんかったよ。」(大田の子どもミュージカル風花でもずっと活動していましたよね)
「おじいちゃん、おばあちゃん、遅かったけど美穂子進学しても精一杯頑張るけんね。恥ずかしくないように自分自身に精一杯」
第5回公演の分厚ファイルを取り出して見ていたらなつかしい資料や切り抜きなどがたくさん出てきました。国立劇場舞台技術部長だった持田諒先生の寄稿文もあります。やっぱり書き残しておくことは重要ですね。
美穂子さん、体に気をつけて、さらに大きな夢へ向かって歩んでください。