大田高出身の福原美佳さん『キュリーキュリー』へ出演

2011/07/16、東京の青年劇場にいる福原美佳さんから青年劇場のニュースや上演チラシ、「みか月だより」が届きました。美佳さんも出演しますので紹介します。

この劇は青年劇場が長期間全国で公演している人気のある感動的な舞台です。美佳さんはすはま君が大田高校へ川本高校から転任してきて演劇部顧問になったとき3年生で演劇部員でした。卒業して青年劇場へ入り活躍しています。

チラシには美佳さんの写真も出ています。なんかだんだん若返っているんじゃない?美佳さんは隠れ劇研空メンバーです。いつか朗読などを一緒にやりたいと話したこともあります。平成7年(1995)8月10,11日に島根県高文連高校演劇部門の夏期講習会を大田のサンレデ-で開いたとき青年劇場の西沢由朗さんを講師にお願いしましたが、助手として美佳さんにも来てもらい実際の演技指導などをしてもらったこともあります。あのときは2日で90人以上の演劇部員が参加してくれました。

あのごろは大田高校にも邇摩高校にも、川本、矢上、江津、など石東地区にも演劇部があったよなぁ。大昔の話しだよね。もうとっくに廃部!ああ寂しい言葉だね!

東京近辺に住んでいる美佳さんの同級生や大田の出身者はこの劇を観にいってほしいですね。そういう人がいればぜひ勧めてください。

おーい、がんばれよ、みかさーん!かくれげきけんそらめんばーの力を舞台でみせてやってくれ!

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

「大田高出身の福原美佳さん『キュリーキュリー』へ出演」への2件のフィードバック

  1. 先生、ご無沙汰しています。
    「キュリー×キュリー」の宣伝してくださって、ありがとうございます!
    演劇部、大田高校もないんですね~、淋しいです。
    先生が作った芸術鑑賞教室はまだ続いているんででしょうか?
    いつか、母校で錦を飾りたいものです(笑)
    今年の12月、文化庁主催の仕事で中国地方で中学校公演7ステージ予定されています。島根も何箇所かありますので、詳細わかったら連絡します。
    ご都合合えば、是非「空」の方たちとご一緒に観てくださいね。
    いつか、共演できますことも楽しみにしています。

    1. 公演を直前にして連日ハードな日々を送っておられることでしょう。
      成功を祈っています。

      改築された大田高体育館は立派な姿で三瓶川ほとりに建っています。
      三瓶へ行くとき車でそばを通りますが、まだ入ったことはありませぬ。旧体育館は演劇で15年も利用させてもらいぼくは大田高の主みたいだったのですが退職すると学校というところはとてもとても遠い遠い場所になってしまうのが不思議です。体育館を覗いてみたいのですが、「どなたですか。許可を取って学校の敷地に入りましたか。ええ?無断で?そのカメラは?もしかして部活動中の女性徒を盗撮するつもりだったんじゃないでしょうね。」とか「先生、変な老人が覗いていますよ、きもちわるー!」などと言われそうで中を覗けません。
      下校中の子供に「おかえりなさい」とも言いにくい時代ですからね。変な時代ですね。

      体育館は体育用の建物。そりゃそうですが文化活動にも大いに活用してきましたよね。大田高へ赴任して、照明ボーダーの再設置、照明器具購入、シーリング装置設置、おんぼろ破れ暗幕の全面新設、電源を200ボルト用に工事。理解を得て毎年実現してもらいました。でも新体育館は体育用!照明などの基本装置はほとんどないそうです。演劇部がなくなると当然こうなるでしょうけどね。

      ぐちぐち愚痴はやめにして、現在大田市民会館は耐震工事のために2年間は使用できません。大田高の芸術鑑賞は今年は落語(だったかな?)だとか。体育館でやるそうです。市民会館のスタッフが頼まれて、体育館の舞台や照明作りのために苦労しておられます。ほとんど何もないので大変だ、と言っておられました。

      青年劇場の「少年とラクダ」を大田高校で呼んだのはもう26,7年くらい前になるでしょうね。大田高へ赴任した昭和59年(1984)演劇部ではぼくの創作劇『エメラルドグリーンーおれたちのふるさとー』を上演、石東地区大会は江津高校でしたね。亀のじっつあんの清水マサシゲ君(どうしえるかな?)森本さん(どこにいるかな?)藤原さん(三瓶埋没林にいます)そして美佳さん。(「島根の高校演劇40年のあゆみ』にはぼくが写真入りで原稿を書いています)おいおい!黙々とニコニコと裏方を務めた武間くんを忘れちゃいけませんよ(祖式の武間組であんばっています)

      芸術鑑賞は細々とつづいているようですから、そのうち青年劇場も呼んでほしいですね。いいタイミングがあれば実現の可能性もあるでしょう。時々そういうPRや声掛けをしておかないとだめですけどね。目が黒いうちに、ドリカム!

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