平成23年6月21日、『琴の鳴る浜』の実行委員会が市民会館で開かれました。事業報告、決算報告、監査報告があり、総て了承されました。アンケートの結果はとても好評でした。チケットは950枚ばかり売れていましたが入場者は663人でした。日曜日で他の行事と重なったことや、東北大震災の影響などもあったと考えられます。市民会館入り口でカンパをお願いし、被災地へ約20万の義援金を送ることができましたが、多くのみなさまにご協力いただきました。改めてお礼を申しあげます。
実行委員会では今年度の新たな公演を企画しています。それは地元の馬路で音楽と朗読による『頃の鳴る浜』を上演することです。地元馬路もOkということです。
開催日:平成23年10月8日(土)19:00 場所:旧馬路小学校体育館 入場料:500円
音楽伴奏練習日:9月24日(土)夜 市民会館中ホール 事前総合練習: 9月25日(日)午後 〃
台本はまだ脱稿していません。演奏や合唱を主体にして朗読でつないで行く形になると思います。そのうち詳細を会報などでお知らせします。
馬路では高齢舎が多いので、どれくらい観客が集まるか心配しておられました。PRして仁摩や温泉津、大田からも来てもらえるといいですね。音楽中心のいい舞台になりそうです。
上の写真は琴が浜にある琴姫の記念碑にある説明です。劇では社会的背景も取り入れて複雑な構造にしていますが、ここに書かれているのは単純素朴です。これもまたいいですね。
こんにちは。初めてお便りします。浜田市在住の者で、州浜先生とは既知の仲です。 実は、今回の馬路での催し物をこのサイトで偶然知りました。私の詩集『自然回帰線』の中に、「聞こえますか」という日英二か国語の詩があるのですが、これはたぶん海が今よりやや汚かった時代の琴が浜を歩いて出来た詩でした。琴が浜がモデルですが、全国にある鳴り砂の浜を念頭において書いたものです。十数年前になりますが、この詩は自然や自然保護に関心のある浜田の女性たちが、ボランティアで開いていただいた詩の朗読を楽しむ会で、日本語と英語によって朗読されました。英語は高校のALT(英語指導助手)が読んでくれました。
で、前置きが長くなりましたが、私のこの詩を馬路で開かれる企画で、できれば使っていただけないものかと思いました。馬路で生まれた詩が、馬路のみなさんに聞いてもらえるというのは、仁摩高校にも勤務した私にとってはそれはそれは大きな喜びです。大した作品ではないかも知れませんが、ぜひ一度検討をしていただきますようお願いいたします。以下に、その日英二か国語の詩を載せておきますので、よろしくお願いいたします。 fukuhara
『聞こえますか』
~鳴り砂に寄せて
わたしの声が聞こえますか
わたしの声はもう消えそうです
わたしは海岸の小さな砂
かってわたしは桜貝を抱いた
時化の後にはかぐわしき海草を抱いた
どんなにさびしくたって
やさしい波がわたしをなぐさめてくれた
きれいな海が身体を洗ってくれた
麦わら帽子の小さな足がスキップしながら走っていく時
わたしの声は笑っていた
でも今は汚れた怖い海
ゴミを浮かべた暗い波がわたしの上を流れていく
嵐の時は恐ろしくてわたしは耳をふさいでいる
わたしは知らない国の文字が書いてある廃品に抱かれ
黒いコールタールをあちこち塗られている
車でやってきて缶ジュースを片手に集団で大きな足が歩く時
わたしの声は泣いている
わたしの声は泣いている
でも、わたしの声はもう消えそうです
わたしが泣かなくなったら、
それはあまりの悲しみに沈黙するとき
それは声にならないさようなら
わたしの声が聞こえますか
わたしの声はまだ聞こえますか
でも、わたしの声はもう消えそうです
“Can You Hear Me?”
~from the Singing Sand
Can you hear me?
My voice is fading.
I am little SAND on the seashore.
Once I would embrace a beautiful pink shell,
Fragrant seaweed after a storm.
However lone I was,
Tender waves comforted me,
The crystal water cleansed me.
When little feet with a straw-hat were skipping on me,
I was chuckling.
But now the sea is dirty and dreadful.
Dark waves are flowing over me with rubbish afloat.
I’m scared covering my ears on a stormy night.
I’m hugged by wastes unfamiliar languages written on them,
and smeared here and there with black tar.
When, coming in cars, a group of big feet are striding with cans in hands,
I am crying.
I am crying,
but my voice is fading.
When I stop crying,
That’s when I become dumb with such sorrow.
It is my voiceless good-bye.
Can you hear me?
Can you still hear my voice?
But my voice is fading.
メールをありがとうごじました。
詩人、久遠春人さんからコメントが返ってくるとはLittle did I think でした。
詩集「自然回帰線」「新自然回帰線」ともにナイーブな感覚で自然と対峙して生まれたさわやかな詩集でした。英訳も自然で素敵でした。
いい詩や文学は本の中だけに永久に眠らせておかずに、いろいろな機会にいろいろな形式で本から引っ張り出し(朗読、パンフレットへの採録、読み聞かせ、音楽とのコラボ、「しまねの風物詩」などのように再編集して収録等々)人々の鑑賞と批評の場に持ち出すことはとても大切ですね。劇研空はそれを意識して活動しています。いままでに優れた詩や童話を何回か朗読する公演を開いてきました。「郷土の詩朗読会」なども開きたい夢を持っています。なかなか前へ進まないのは大田で詩を書く人間が目下約一人しかいないことです。2,3人いれば知恵を出し合っていろいろな企画ができるとおもうのですが。
さて、今回馬路で公演予定の「琴の鳴る浜」ですが、これはすでに音楽は100%、朗読も80%は出来上がっている1時間のまとまった舞台です。今までに初演、再演してきた舞台を短縮した形で上演します。曲や歌や演奏も完成していて、その中へ新たに別なものを入れると、とても不自然なものになります。多分前回の演劇の公演をご存知ないので、何本かの詩や作品の朗読と音楽とのコラボレーションだろうと思われたのだろうと思います。そういう公演でしたら何が入ってきてもいいので大歓迎でしすが、残念ながら今回のご提案は今後の検討仮題とさせていただくことにします。
いつか「自作詩の朗読を楽しむ会」とか「ふるさとの風物詩朗読会」、「英語の詩の朗読を楽しむ会」「石見銀山を詩で読む会」などを公演することがありましたら、ぜひ久遠さんの詩も対象に検討します。ではまたいつか。
おひさしぶりです。メルアドを書き込む欄があったので、そこに返事が来るとばかりなぜか思い込んでいたので、ここを見るのが遅くなりました。
>何本かの詩や作品の朗読と音楽とのコラボレーションだろうと思われたのだろうと思います。
まさにその通りです。これならロケ柄うってつけだと思いましたね。(笑) また何かの折に使ってくださいね。お忙しいのに丁寧な返事をくださりありがとうございます。
州浜先生、いろいろといい活動されていますねえ。穏やかな人柄なのにどこにそのエネルギーが隠されているのかと思います。大田で詩を書く人は約一名には驚きました。残念ですねえ。どうしてなんでしょう。ネット上で書いている若い人はとても多いのに・・・。
確か、銀山の山登りでお会いしたのが最後でしたよね。いつかの折に、事務局のNTさんにもよろしくと伝えてくださいね。では、また会える日を楽しみにしております。最後になりましたが、お身体に気をつけてますますご活躍されますように。
あっ、名前とコメント欄にHNではなく実名を書いちゃいました。たいして気にはしていませんが、読まれたらコメントを削除していただけると嬉しいです。よろしく。
fukuhara様
コメントありがとうございます。
管理人です。
先生が読まれるまでがありますから、勝手ながらお名前をHNに書き換えさせていただきました。