19日(土)は午前中合唱練習、午後から劇で一場、と三場を中心に小返し稽古を何遍もやりました。20日の日曜日は午前は演劇、午後から初めてコーラス、演奏との合同練習。その後劇の小返し稽古と音楽との合わせをやり、5時過ぎに終わりました。全員集まったのでかなり進みすこし目途がたちました。
(20日は久しぶりにいい天気でした。劇の稽古を終えて市民会館の外へ出ると、三瓶山が白い雪を頂いて空で輝いていました。宮崎橋の上まで行って三瓶川を近景にして写しました。)
19日は土曜日でも仕事がある人も多く、午後の練習も代役で、一場、と三場をやりました。二人の高校生も参加してくれたので、その場面は何度もやりました。まだ思い切って言葉をいい表現する点では不十分ですので、そこを克服しないと劇になりません。これからです。
名優・大竹しのぶさんは、「心を開いていない人の舞台なんて誰も見たくないと思いますよ」と対談で言っていました。確かにそうですね。自分の感覚や心をコンクリートで囲んで、形だけで演技しているような人の舞台など見る方が恥ずかしくなってきます。自分の壁を破るのは簡単ではありませんが、それを目指して訓練をしないといけません。
(馬路小学校のみなさんも参加して盆踊りの場面も練習しました。9人が参加してくれます)
お琴さんが独唱し、村の子供たちがそれをきいている場面で、子供たちの顔が無表情だったら劇は台無しです。しかし子供たちに「嬉しい気持ちになれ」とか「笑顔をつくれ」とか言ってもすぐにできるわけはありません。大変な訓練が必要になります。しかしそんな時間はありません。さてどうするか。
最近では社員教育で笑顔の訓練もやるようになりました。頬の筋肉を動かして鍛え、上の歯を見せる訓練です。上の白い歯が見えれば、相手は笑っているように見えるのです。(心は鬼状態でも笑ったように見えるの。人間が動物から進化する過程で身につけた本能的な心理だそうです)。そういう訓練をお琴さんに言って、子供たちにもやってもらいました。
20日はマスコミの取材も4社ありました。読売新聞の記者は終了後に来られたので、また後日の舞台稽古の日に来たいといわれました。NHKが作曲の長坂先生を取材に来ておられました。公演が近くなったら6時の番組で昨年の劇の一部を流して公演案内を放映します、と言っておられました。謝謝。
公演等の催し物はPRなしには成り立ちませんが、ぼくらはPRが下手ですし、そのためのスタッフも決めていません。いつも手抜かりになります。しまね日々新聞や、山陰中央新報などはタイミングよく取材し報道しもらっていますのでありがたいことです。全国版の新聞や放送は地方版の紙面のスペースも少ないし、マイナーな演劇などは取り上げる余裕はあまりありません。政治や行政記事や事件が最優先です。また全国版では島根は真っ二つです。出雲、松江地方の編集は大阪本社担当、石見は福岡本社の担当。大田の新聞にでているから松江の人も知っているだろうと思えばとんでもハップン。西部版だけのことが多い。
島根は東西に細長い。文化的にも地理的にも出雲と石見には違いがあります。情報という点でも石見と出雲は分断されています。特にぼくが生まれた邑南町等の西部になると広島の情報のほうが多く、役に立ちます。病院も広島です。大きな買い物も広島です。松江へ行くことなどほとんどありません。
地頭の重房 「何を言いたいのが元五郎!」 元五郎 「は、はい、欠席者へ劇の報告を…」 地頭の重房 「じゃ、そのことを言え!たわけ者!」