藤原俊彦先生の歌集「いのち輝く」紹介

 この歌集は平成22年10月1日の発行です。娘さん夫婦が自分たちで作成された手作りだそうです。5年前に第一歌集「春峡集」を出版されたとにもお贈りくださり人間性豊かな歌を味あわわせていただきました。

 藤原先生は浜原の出身ですが大田高校では演劇部員として活躍され、昭和28年3月に卒業しておられます。昭和36年3月に広島大学医学部を卒業、41年に大学院を修了博士号を取得、44年8月から大田国立病の産婦人科医師として長い間勤務され平成3年に辞職、広島市西保健所長に就任され、広島の人になられました。

 大田におられるときには、あそか幼稚園や大田高校のPTA会長もされました。次男ののりお君は理数科で教えました。チアキちゃんも我が娘と同級でした。のりお君が生徒会長のときぼくが演劇部のために書いた脚本「エメラルドグリーンーおれたちのふるさと-」の劇中歌を作曲してもらいました。いい曲でした。今もメロディーが流れてきます。

 藤原先生は高校を卒業した年の昭和28年6月に「山陰アララギ」に入会されたそうですから実に長いキャリアがあります。323首中の最後のページの短歌を紹介しましょう。

 長男のつぐお君が広島でフジハラレディースクリニックを開き先生は顧問として就任され今年7月にはそこで1000人目の命が誕生したとか。先生もこの春草津病院の副院長を退職されたそうです。浜原には100歳のお母さんがご健在です。

 歌の最後がそのお母さんの歌だというのもいいですね。広島に住んでも島根ナンバーの車で19年間走り回ったと言うのも先生のふるさとへの愛着が伝わってきてほのぼのとした余韻がと何とも言えないユーモアが伝わってきます。一冊の歌集を通して先生の一生が小説を読んだように一本のストーリーとなって浮かんできます。

 先生、長い間おつかれさまでした。我が娘も先生の手でこの世に誕生しました。いい歌集を読ませていただきありがとうございました。

 大田高校演劇部が島根県代表として中国地区大会へ行き、出来たての真新しい「アステールプラザ」で「星空の卒業式」を上演したとき、わざわざ楽屋へ差し入れと祝儀を持ってきてくださいました。いつまでも忘れません。

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

コメントを残す