11/22(日)は2回公演があります。5時開演と20時です。場所は出雲大社の近くにある手銭記念館です。朗読芝居ですがどのように舞台空間を使い朗読されるか楽しみです。
高橋賢耳さんは今年8月1日に他界されました。僕は直接のつきあいはありませんでしたが、出雲で2回劇を見ています。
劇団「幻影舞台」の清原真さんが新聞へ追悼記を書かれたので切り抜いて保存しています。清原さんと山陰中央新報に感謝し謹んで紹介させていただきましょう。まだまだ大きな仕事が期待されていた貴重な才能の持ち主がこのように逝ってしまわれるのは無念なことです。
この公演を聞きに行きたい空のメンバーは連絡してください。前売り券は1500円です。いろいろと勉強になることでしょう。
劇団「ギミック」の朗読芝居「卒塔婆小町」を観てきました。原作は三島由紀夫の「近代能楽集・卒塔婆小町」です。
手銭記念館は初めて行きましたが大社町の町中にある大きな旧家です。朗読芝居はその旧家にある展示室の土間で行われました。大きな煤けた梁が天井にむき出しになっていて薄暗い室内には不気味な空気が漂っています。舞台は少し高くしてありますが役者が立つと前のお客さんがいるので役者の下半身は見えにくい。前のお客さんは茣蓙に座りその後ろはパイプ椅子です。100人前後入れるでしょう。立って観ましたが目の前で立っておられたのは清原さんでした。
中心人物の老婆は実は美しい小町の変身。ギミックの久藤公子さんが朗読されました。詩人を岡優一さんが朗読。譜面代に脚本は置いてあり椅子に座って目で活字を追ってはいますが、表現は劇のセリフとほぼ同じです。それ以外の人物はあまりセリフはありませんが人物を劇として演じていました。訓練されているので朗読にも艶があり迫力がありました。
詩人が倒れて死ぬのですが刑事が出てきて話しかけます。刑事役の伊藤さんのしゃべり方は力を抜いて自然に話しかけるように喋り、実にリアリティがあり「今」の感覚が部屋中を支配しました。小町と詩人の世界はいかにも人工的でもろいガラスのような世界であるという感じが伝わりました。同時に老婆も詩人も伊藤調で語ったらこの芝居全体の色調ががらりと変わっただろうと思いました。
過剰美意識の世界ですから何を言いたいのか分かるような分からぬような芝居ですが朗読がつづく中で公園のベンチに座った男女のイチャツキの後ろ姿など妙に意識の中に入ってきて100歳という老婆のセリフがかぶさり面白い空気を醸し出していました。
車に乗って帰りながらふと思ったのは、老婆が80年前の20歳へ帰って喋る時は朗読ではなく小町になって劇として演じたらこの劇が立体化したのではないかと言うことです。周辺の人物は朗読で十分。主人公の二人が肝心な所では5分でも10分でも芝居をしたらどうだろうかと思ったのです。面白いテーマが立ち上がるでしょう。もちろんギミックの演出意図とは別のものになるでしょうけど…。
大がかりな劇では逆にやりたいことができません。このように小さな場所で朗読芝という形でやりたいことを発表するのはうらやましいですね。
帰りに幻影舞台の清原真さんと少し話しました。「いまは何をやっていますか」「この前の劇の再演の準備です。」「ああ、鳴り砂の劇ですね。また案内してください。次の公演の練習をしているのでまた松江へ観にきてください。」
是非行きます。幻影舞台は00周年記念公演だそうです。