福波小学校の児童25人が平成22年11月7日(日)10時から学校の体育館で写真の脚本を発表します。先生も保護者も一緒になって作った舞台です。大人が上演してもいいような脚本をみんな頑張って作り上げました。福波小学校は来年の3月で名前が消えます。その記念行事の一環でもあります。
吉川経家は鳥取では英雄です。10月26日に鳥取市の真教寺で430周年大法要が行われ大田からも30数名参加しました。鳥取吉川顕彰会の会長は鳥取市長です。都合で副市長が出席されましたが、「経家は鳥取市民の恩人です」という言葉がありました。それほど鳥取市民には親しい経家ですが、大田で知っている人はほとんどいません。
10月25日午前4時ごろ切腹しますが、前日から8通の遺書を書いています。最後は子どもたちへ平仮名で書いています。この手紙に触発されて脚本を書いたのです。400年以上前のことですがその人間性は今の人たちの心にも響きます。
吉川経家がいた不言城は福光にあります。九号線を通って温泉津トンネルを抜け長い坂を下ると目の前にガソリンスタンドがあり、その背後にある標高約100メートルの山が城跡です。
劇には一年生から6年生までみんな出演します。先日練習を見に行きましたが、難しい言葉があるのにみんなちゃんと覚えて大きな声で演じていました。大したもんですね。子どもだからこれくらいしか出来ないだろう、と既成概念で考えて限界を設けると、その範囲のことしか出来ませんが、限界を取っ払うと大人に負けないこともできます。舞台は群読と劇と歌で出来ています、作曲は仁万の菅森容子さんと大田の長坂行博先生です。
今年鳥取には2回行きました。一回は9月25日に開催された中四国詩人会大会です。26日には鳥取から吉川経家顕彰会の人たちが30人くらい不言城見学に来られ、夜は温泉津で歓迎会があり出席しました。二度目は大法要です。修平さんも一緒にいきました。
次に鳥取城がある久松山と真教寺の写真を紹介しましょう。真教寺は何度も移転していて今は市内の住宅街にありますが、経家がいたときには城内にあったようです。経家はそこで切腹したと言われています。(城内説もありますが)切腹した時の様子を山縣長茂は1644年に詳しく書いて岩国の吉川家へ提出しています。実に描写がリアルで衝撃的な覚え書きです。
7日の発表は誰でも観られますので都合のつく人はお出かけください。東京からはるば来られる経家フアンもおられます。地域の人たちがバザーなども出されるそうです。
次ぎに練習風景の一端を紹介しましょう。鳥取城の描き割りは保護者の手による傑作です。保護者の中には大田高校演劇部だった人もいます。「母のおくりもの」で県代表となり倉敷で行われた中国大会に出ました。そのときの母です。さとみさんと言えば知っている人だけ知っています。発声練習や劇の練習またパソコンを駆使してすてきな紹介を作って投影してくれます。
この劇は2月ごろ閉校記念行事として再演される予定です。劇研空は修平さんと僕とでいろいろ協力しました。
一年生や二年生も一生懸命演じます。楽しい場面もあちこちにあります。明日が楽しみです。頑張ってください。みんなで観に行きます。(みんなとはどんなにたくさんのひとがいるのだ)