3月14日14時から公演予定の創作音楽劇『琴の鳴る浜』のポスターなどができあがりました。ここではチラシとあらすじを紹介します。
主催は『琴の鳴る浜』実行委員会。後援は大田市、大田市教育委員会。しまね文化ファンドの助成を受けています。
あらすじは簡単に紹介していますが、もう少し詳しいものを後で紹介しておきます。
残念なのは、ポスターは車に乗っているとほとんど目にすることはありません。公民館などの室内に張ってあるからです。車に乗りながら、ああここへ一枚はらせてもらうといいのになー、と思うところがありますが…。ポプラに頼みましたが、上級機関の許可が出たら張ります、とのことでした。我が家には張っていますが、意外に効果があります。
ポスターを張るいい場所があれば教えてください。チラシも多数預かっていますのでPRに使ってください。チラシを20枚くらいでも置かせてもらえるところがあれば教えてください。持参します。
出会った人に1枚でも2でも渡してPRしていきたいものです。
歌詞と楽譜も完成しています。希望があればお届けします。台本もです。
音楽創作劇『琴の鳴る浜』 あらすじ ~ありがとう 美しい浜辺の村~
091215
海が荒れた翌朝、いつものように朝早く浜に出た善作の母・種は、武士風の男が浜に倒れているのを見つける。村人を呼んで介抱していると、「舟の中で娘が気を失っている」とお豊さんが大声をあげる。舟小屋へ運び手厚い介抱を受けて二人は生き返る。
村の子供たちはが珍しいものが波打ち際に浮いていたと言って持ってくる。見たこともないものなので、鳥追いだとか、ウサギのわなだとか言うがわからない。そのうちそれは琴という楽器だとわかり、娘が上手に奏でる。娘はいつの間にか「お琴さん」と呼ばれ、笛が上手で律儀な繁二郎は「笛の繁さん」と呼ばれるようになる。
二人は村の住民に親しまれ、お琴さんの琴や歌を楽しみにして聞きにくる。お琴さんは都の貴族社会で流行していた「いろはうた」を教えたり、柿本人麻呂が石見で作った和歌などを歌ってくれる。村では誰も聞いたことがない心に響く歌だった。
村に溶け込んだお琴さんは、村に伝わる神話や、子供たちが歌うわらべ唄、村で歌われている民謡などを聞くのが楽しみになる。そんなお琴さんを繁二郎は不安そうに見守る。
地元の民謡を楽しく聞いていたある日、地頭と家来が村に来て二人を差し出せという。平家は壇ノ浦で滅び、鎌倉の源頼朝から平家追討令がでたという。時代は武士の世になり、あちこちで「平家の落ち武者狩り」が続いている。二人が平家の姫と武者だという訴えが村人からあったという。地頭の家来は繁二郎を攻め、斬り合いになる。しかし繁二郎は強い武士だった。不利とみた地頭は、「二人を地頭の館へ連れて来なければどんなことになるか覚悟せよ」と言っていったん引きあげる。村人は平家狩りにおびえる。大勢の武士が復讐に来て村を焼き払うかもしれない。村は二つに分かれる。善作や母は二人を守ろうとする。しかしそうすれば村に大変なことが起こる。
数人の村人は真夜中に舟を用意する。北に向かう潮流に乗れば、京都の方へ着くはずだ。そこには親戚の一族がいる。真夜中にふと話し声を聞いた一人の村人は、善作や種や村長が二人を見送っているのを見る。気がつくとあちこちから村人が浜へ走り出て手を振っている。子供も老人も…。その村人も思わず走って手を振っていた。
数年過ぎたある日、一人の旅の僧が浜を通りかかり、都で流行っていた歌を子供たちが歌っているのを聞く。不思議に思って聞いてみると、「琴姫さん」から習ったという。琴姫は娘の定子で、「笛の繁さん」は、娘を守るように命じた家来の繁二郎だった。僧は源平合戦に参加したが、僧になって平家の死者を弔うために西国の旅へ出たのだった。琴姫と繁二郎は舟で沖へでたが、次の日に浜へ打ち上げられていたという。善作や村人は今でも姫の墓を大切に守っていた。僧は涙を流し地面に手をついてお礼を言う。「荒れすさんだ世の中なのに、見ず知らずの娘を大切にしてくださったのですね。」
「墓へ案内しましょう」と善作が浜を歩く。
僧 「なんときれいな砂ですのう」。
善作「さあれ。まことに定子姫さまが琴を弾いてござらっしゃるようじゃ」
そのとき天から降るように琴の音が聞こえてくる。それは美しい音楽と合唱になって高まっていく。
感動の大拍手のなかで緞帳が下りる、といいなぁ。