劇研「空」の活動を書きませんでしたが、昨年から琴が浜の伝説を創作劇にするために脚本を書いてきました。5月に完成し読んでもらって批評を受け、修正を加えて来ました。空としてはこの上演が大きな目的になります。
脚本の名前は「琴の鳴る浜」です。ブログなどでまだ公表しないようにと言われていましたので、何も書きませんでしたが、何時までも箝口令を守っていても劇研空関係の皆さんにも失礼ですし、大いにPRして多くの人に協力を得ないといけませんので、今後「空」の活動報告としてここに新しい情報を書きます。
まず最初は会報12号に載せた一部を掲載します。琴姫の伝説について簡潔に 創作劇「琴の鳴る浜」について 2009、5、28
「琴姫」の伝説と舞台化のいきさつ
大田市仁摩町馬路の琴が浜に次のような伝説が伝わっています。(「仁摩町誌」)
「平家が戦いに敗れた寿永四年の春、難破した小舟が一そう馬路の裏へ漂着、その中に、美しい姫が琴を抱いて気絶していた。村人の介抱で蘇生した姫が、ご恩返しにもと琴を弾じて人々を慰める。村人は姫を敬愛する。ある日突然姫は死んでしまう。浜の見える丘に姫をねんごろに葬る。次の日から浜が鳴る。姫の魂がいつまでもこの浦にとどまって村人たちを慰め励ましてくれた。」
浜田の木村晩翠さんが昭和7年に出した随筆集『石見物語』にも琴姫の伝説が載っています。簡単に概略を記すと次の通りです。
「18才の琴姫は目が見えない父と二人で暮らしていた。名高い琴の名手であった父は琴姫に琴の秘曲を教えた。ある日源氏が都に攻め入り親子は離ればなれになった、琴姫は帝に従って壇ノ浦へ。戦いに敗れ海上をさ迷っていて奴(家来)の吉太に救われ、3日漂って嵐に襲われ船は砕け吉太は死ぬ。4日目の朝琴を抱いた姫の亡きがらが海岸へ流れ着いき、遺体は琴と一緒に松の下に埋められた。次の朝、浜辺に琴の音が流れてきた。琴姫の魂がここに残って村人を慰めてくれるのだ、とみんなが言った。その後まもなく一人の盲目の老人が流れてきて、浜を歩きながら砂の音から琴姫がここで亡くなったことを知り、自ら海へ入って行った。」
木村晩翠版の琴姫には作者の創作が加味されていると思われますが、起承転結をもった一編の悲しい物語に仕上がっています。
平成6年(1994)に江津の童話作家・村尾靖子さんが『琴姫の涙』という絵本童話を出版されました。それはアマチュア宇部芸術座(昭和21年結成)の奥野保正さんの演出で舞台化され、仁摩町でも公演されました。この童話にも作者の創作がかなり入っています。「姫は漁に出て嵐にあった若者を助けようと祈りを込めて琴を弾き、ついに力尽き海へ消える。その日から浜に白い砂が見られ、村人は『琴姫のなみだ』といい、琴が浜と呼んで姫をしのんだ。」若い漁師に希望を与える物語です。
元の伝説は単純ですが美しい話しです。想像と創造をかき立てられ、昭和52年に邇摩高校演劇部用に「琴の鳴る浜」という脚本を書き、石東地区、県大会、要請を受けて馬路小学校で上演しました。
31年たった平成20年夏、その脚本を「音楽と朗読劇」に書き変えてみないかという提案を受けました。貴重な素材なので以前からミュージカルにすれば面白い舞台になるだろうな、と思っていたこともあり、提案を受けました。
元の伝説は単純過ぎて劇になりません。劇には対立や葛藤や現代感覚(今この劇とは何か)が必要です。そのために、上記の伝説などを参考にして取り入れ、壇ノ浦での平氏の敗北など時代背景を生かして創作をしました。またこの脚本から地域の人々に感動と誇りを与えてくれる舞台が生まれるよう願いを込めて書きました。
本日はここまでにします。