2008年10月4日から毎週土曜日に連載がはじまり、11月29日で9回が終わりました。古代から現代まで60名以上の島根にまつわる作家、詩人、俳人などを取り上げて紹介します。
取り上げる著名文学者60数名は「島根県文学館構想を考える会」ですでに検討されて決まっています。執筆者は県内の文学関係者です。
今までは古代から近世まで連載されました。柿本人麻呂、後鳥羽上皇、近松門左衛門、上田秋成、中嶋魚坊、千家俊信の6名です。
さて、12月6日土曜日は古代から一足飛びに現代にもどり連載文学者のなかで最も若い大田高卒の日和聡子さんです。執筆者はだれでしょうね。楽しみです。
つづいて田淵久美子、松本侑子、佐藤洋二郎、平田俊子、井川博年、難波利三、郷原宏、入沢康夫…続々と大活躍中の劇作家や作家、詩人がつづきます。
多くの文学者を輩出している島根県に「文学館」を創設しようという11年前からの運動の一環です。
この財政難のときに県が動くものか、という声が聞こえてきますが、貴重な文学的資料を計画的に集め保存して行かないといけません。それは後世の人々に対する現存者の責務です。
さて、県当局がどの様に動くか。来春には「考える会」のメンバーと県の担当者やトップとの話し合いの場が持たれるはずです。
県立の文学館は全国でどのくらいあるんでしょうね。
12月4日の山陰中央新報文化欄で高橋一清さんが「島根文学館を求めて」と題してとてもすばらしい一文を寄せておられます。
文藝春秋や文学界の編集者として全国の文化や文芸のトップを見、実際に関わって来られた人だけに、その俯瞰眼力はちょっと真似ができません。
連載5回の最後の登場ですが、県内にいる者が書くと無意識に、根拠も示さず自画自賛になって鼻持ちならぬ悪臭がして反発さえ招く可能性もありますが、その点では全国を俯瞰した上で具体例をあげ、そしてだれにもできない示唆的な提言もしておられます。
そのうち時間があればその要点を書いてみたいと思いますが、高橋さんの寄稿はとてもすばらしい牽引力になる視点をもっていると確信します。
島根文学館設立をすすめる会員の一人として今まで外的な力で仕方なく松江などへ行っていた感じがありましたが、この文章を読んで力を得た気がしました。とてもありがたく感謝する次第です。
12月6日、田淵久美子さんを益田の高田頼昌さんが山陰中央新報へ書かれました。
12月13日(土)日和聡子さんを大田の洲浜昌三さんが書かれました。
看護学校へ英語を教えに行っているので、文化面でその記事を読んだ人?
と聞いてみましたが、だれも読んだ人はいませんでした。
そんなもんなので別に驚いたりがっかりしたりはしませんでしたが、新聞の文化面など読む人は限られていることを再認識しました。
夜に大社から電話があり、受話器をとると山崎先生でした。日和さんの記事を読んで電話されたのです。
日和さんが活躍しているのをあまり知っておられませんでしたので、とても興味をもって読まれたようです
読まない人はy読む人は読むんですね。
反応が返ってくるのは嬉しいことです。読まない人は読まないけど、読む人は読むのですね。(?)
今日は日和さんが12月14日の日本経済新聞へ書かれたエッセイを新聞社の人からfaxで送っていただきました。
次は佐藤洋二郎さんです。30冊近い本があり読んだり調べたり大変です。佐藤さんが注目されはじめた平成4年ごろから新聞などに書かれた佐藤さんの文章などは切り抜いていますので、こういうときにはとても役立ちます。
12月27日をお楽しみに。
ミサト町は石見銀山の重要な街道ですが熱心な方がおられて街道の整備なども着実に進んでいます。三次へ出るとときサカタニや廿日市などを通りますが、あちこちに案内板があり、車で下りて読むこともあります。
案内版がなかったら、単なる過疎の山村に過ぎませんが、歴史を語る案内板を読むと、イメージが逆転し、とても豊かな村に思えてきます。文化や歴史が持つ力なんでしょうね。人間はイメージで心の栄養を補給して生きているのでしょう。
美郷町のフクシマさんは石見銀山にもとても詳しい人ですが、「日和さんの新聞記事をよみました。ぼくは彼女のお母さんと同級生なんですよ」と話しておられました。
新聞は読まれていないようで読む人はちゃんと読んでいるもんですね。若い人はいざ知らず、昭和生族には新聞や本など活字は呼吸と同じです。
日和さんが中也賞を受賞し、新聞でも写真入りで報道されましたが、数ヶ月後、三郷町役場の教育関係の偉い人と町のプールで一緒になり、日和さんを知っていますか、といったら、知りませんでした。
随分以前から町おこしで文学や芸術の人材を発掘しそれをPRすることに全国中が躍起になっていますが、ここはえらいのんびりしているな、と思いました。
誇大なPRは不必要ですが、自分の村から全国レベルの文学者が出て受賞もしているのですから役場の関係者くらい知っていないとお話になりません。つくり出そうとして作れるもんではありませんからね。50年待っても出てくるものではありません。
「受賞式は山口市で行われますが、出席できなければ、町から祝電でも打ったらいかがですか」と話しておきましたが、こちらの価値とあちらの価値は違うでしょうから「見知らぬ人のお節介」に終わったかも知れません。
本が出版されれば町の書店で50冊くらいは取り寄せて積み上げてPRするくらいのバックアップがあればうれしいですね。
「人物しまね文学館」で自分の地域の文学者が掲載されたら、地元の役場や出身校などはコピーして関係者に読んでもらうくらいの熱心さがあればこれまたうれしいのですが…
山陰中央新報が、1年半のロング・シリーズとして郷土の文化文芸を再評価する機会を提供してくれているせっかくの機会を生かしたいものです。
と書いても誰も読まなければ何も書かなかったのと同じことです。
そりゃそうですけど…
あんた誰?いつもすぐ顔を出すけど…