田中さんの著書には表題の三冊と「回転椅子」という小説がある。「山陰文藝」の同人だった。大田で小説を4冊も出版した人は田中さんが初めてだろう。残念なことに平成18年の暮れに95歳で他界された。簡単に紹介する。
「芋代官」を書店で手にして購入したのは昭和63年である。大田にも小説を書く人がいるんだ!と感動し、いつか会いたいと思っていたが実現しなかった。この本は320ページあり井戸平左衛門の文献を良く読んで公正に書かれているのが特徴である。時代や平左衛門に対する独自の視点がない
点では物足りないところもあるが、30冊近い資料や文献を調べて書いてあるので偏りがなく信頼して読める。自費出版だが、もう在庫はないと娘さんは言っておられた。
「波根東村」は2007年2月の出版。柏村印刷からの自費出版で3005ページ、1900円。在庫あり。
敗戦間際の昭和20年6月、波根東村国民小学校は軍の命令を受けた県教育委員会により、軍用の塩を波根の海岸で作ることを命じられた。田中通青年教師は校長からその主任を命じられて児童を指導して塩を作ることになった。その体験を記録小説風に書いたもので、小説としてはやや散漫で平板な書き方になっているが、当時の記録としてとても貴重な価値がある。今後も何かの折には読まれるに違いない。
田中さんが大田の人だと知って、いつか話しを伺いたいと思っていた。たまたま昨年の暮れに青少年ホームの大掃除があり、娘さんのマリコ先生にあった。本が完成するちょっと前に他界されたという。マリコ先生には我が子も保育園でお世話になっていた。そのごろ通先生が父親だと知っていたら、きっとお伺いしていたのにと思う。この本はマリコ先生から贈呈されたものである。
本の中から略歴を紹介しておこう。
1911年松江市に生まれる。島根師範卒、元大田市立大森中学校校長。元「文学無限」同人、元「山陰文藝」同人
「芋代官」は再販の話しもあるそうだ。世界遺産に登録されて井戸平左衛門も再評価されているのでこの著書にも光が当たるのはいいことだ。
それにしてもこのように地域を素材にして長い間書いてきた人が大田市では孤立無援な状態だったということが不思議でならない。作者の好みや気質もあるかも知れないが、同人誌が生まれ、そこへ人が集まって文学の輪が広がっていくという形にならないのが大田の特徴だと最近つくづく思う。
地域や社会の責任にして冷静に解釈し自分はあくまで外に立って眺めている…ぼくもその一人とはこれまた二重に情けない。