雪がちらつく寒い日でしたが大田市民会館で行われた石見銀山遺跡世界遺産登録記念の石見神楽は大盛況でした。1300が満席で、9時半から16時まで10団体の熱気に満ちた舞いと特別上演の天領太鼓の演奏を楽しみました。
「なんでこんなに石見神楽には人が集まるのかな。内容は同じ様な鬼退治だし太鼓は単調な繰り返しなのに朝から晩までみんなずっと席に座って見ている。どこに魅力があると思いますか」と天領太鼓の近藤先生から聞かれて、「うーん」と唸り、すぐ返答ができませんでした。
しばらく考えて2,3理由をあげてみましたが、十分の一以下しか答えていないと自分でも思いました。不思議な魅力です。
石見銀山天領太鼓は30分バージョンでぼくも「語り」で協力しました。終わって客席へ行きましたが、座る席はなくずっと立って見ていました。
「金山姫銀山勧請」は石見銀山へ比礼振山の佐比売神社から金山姫を石見銀山の仙の山へ勧請してきた事実を基に(1434年)した創作神楽ですが、とても好評だそうで色々な所へ招かれて上演しています。八雲村で行われた世界演劇祭でも上演しましたが、あちこちで拍手が湧き、金山姫が登場してからの拍手は止まず、上演が終わる最後までまでつづきました。
演劇と同じで台本を生かすか殺すかは演出と役者です。台本を頼まれて書いたのはぼくですが、振り付けをしたのは大屋神楽で今回も創作神楽「於紅谷」で龍蛇を舞った安立均さんです。若くてとても研究心が強く神楽に情熱を持っている人です。この日もロビーで会いましたが、「もっともっといい神楽にしていきたい」と言っていました。
東京の公演や海外での公演の声も掛かっているようです。
神楽では台詞が聞こえにくいのが難点ですが、マイクを使っても面があれば言葉は籠もります。マイクを使って影の語り手が台詞を喋っている団体もありましたが、この日は会館のサイドスピーカーを使用してなかったのか、ぼくがいた場所では声が聞き取りにくかった。神楽も発声や台詞の訓練も大いにする必要がありそうです。
前半は見ていませんが、川本神楽団の「滝夜叉姫」はとても台詞がよく通り、流れにもメリハリがあり舞い手の気迫が伝わってくる迫力のある舞台でした。統一感があったのでとても印象に残りました。
「石見銀山 於紅谷」は大屋神楽団の創作です。仙の山で
山師の於紅孫右衛門が吉田与左衛門、藤左衛門兄弟に殺害されたという歴史を基にしています。孫右衛門を慕っていた「お」という女性が自害し怨念が龍蛇となって災いを起こすというストリーです。
ぼくの近所の松原勝さんがおを演じています。とてもうまいので歌舞伎の女形の演技を見ているような気がします。ストリーも演劇性が強く、死んだ孫右衛門が落とした帯を
見つけて、ラストではその帯を肩に掛けて舞うという演出などは神楽と言うより劇の演出法に近い気がしました。おの
印象が強く残る神楽でした。
どこをクライマックスにするか…それは演出によって決まります。神楽では演出というかどうか知りませんが、演劇よりもはるかに演出の力が左右するように思います。
石見銀山の文化や歴史からどんなものが生まれてくるか楽しみですが、神楽で3本石見銀山を素材にした演目が昨年生まれたことはすばらしいことです。
「文化が伴わない町おこしは長続きしない」というのはその道の識者が共通に指摘することです。
「金山姫銀山勧請」の台本をいつか紹介したいと思います。批評を受け手を加え更にいいものにしていきたいものです。作品は集団が創る。集団の中には観客も入っています。
州浜先生、今晩は!青年団時代に「大田市連合青年団歌」の作詞をしてもらい、今度は、「金山姫銀山勧請」の台本を作ってもらい、感謝しています。
神楽の演目は、ワンパターンであるのですが、土江子ども神楽の世話をすることもあって繰り返し、繰り返し何度も見ます。しかし、不思議に飽きないのです。大蛇などは、定番でどこの祭りでも最後に出てきて同じ舞をしますが、見ている人は当然のごとく見て帰ります。
小さい頃の原体験が身体に染み付いているのかも・・・・。
各言う自分も小学校1年生から中学3年まで土江子ども神楽団で正月3日に一生懸命舞っていたものです。
当時は、仮屋行事の一環のため、その年の当番の家の納屋で、餅を焼いて食べたり、相撲をしたり、カルタや駒回しをしたりとみんなで楽しんでものです。
そうした思いが、郷愁を誘うとともに頭でなく身体にしみこんでいるのだろうと思います。
また、ここに遊びに来ますが「金山姫銀山勧請」は土江の定番として、何度でもみんなが楽しみに実に来る舞に仕上げて生きたいと思います。
口上については、発声練習を含め練習していきたいと思います。
また、州浜先生の意図するところを子話してもらえませんか。
なんとなんと、カジさん、今日このコメントをたまたま初めて読みました。なんとなんと、5年以上過ぎています。
大田市連合青年団の歌、なつかしいですね。当時は各地の青年団が大活躍していました。文化行事も青年団の力で主催していたものがたくさんありましたね。青年団が主催する県の演劇大会に審査員として参加したこともあります。もうやってないでしょうね。国立劇場舞台監督だった持田諒先生は出雲の出身ですが、青年団の演劇で大活躍し、全国大会でも優秀な成績を残しておられます。いま、青年団、といっても若い人には、ナンジャソリャホイでしょうね。地域の文化の力でした。
あの連合青年団の歌を平成26年2月2日に大田市民会館で男性コーラスで歌ってもらうことになりました。楽譜を小谷君が大切に保存していたそうです。ふるさとに生きる青年への期待を込めた歌です。希望のある歌です。楽しみです。
先日カナダに住む大学時代の友人が電話をかけてきました。髙畑という女性ですが、
以前彼女がカナダの人たち数十人を引率して日本へ来たとき、石見銀山に行き、三瓶荘で泊まりました。その時、土江子供神楽にお願いして、舞を舞ってもらいました。
彼女はとても感激していましたが、電話で、「カナダのモントリオールへ是非呼びたい。石見神楽は絶対カナダでも受けますよ」と言っていました。
いつかそういう機会があればいいですね。彼女はモントリオールで文化的な企画やプロデュースなどをやっています。モントリオールは文化的で落ち着いたいい町です。