日和聡子さんが新潮社から小説「火の鳥」をこの春に出版しました。島根県邑智郡美郷町生まれ大田高から立教大文学部へ。詩人としても活躍していますが、作家としても期待の星です。本は昭和堂書店にもあります。志の高い読み応えのある文学作品です。どうぞ読んでみてください。参考までに新聞の書評を載せます。
発行部数が限られているのでこういう本は地方の書店には回ってきません。昭和堂の若大将(?)には彼女の本を置いて欲しいと頼んだことがあります。今回10冊ばかり取り寄せると言っていました。若大将も大田高から早稲田の文芸学科
へ行った人ですから理解はあります。
次の文は山陰中央新報に頼まれ6月3日に掲載された書評です。参考にしてください。
日和聡子著 小説「火の旅」
名作「幻化」をたどる旅
詩集『びるま』で、第七回中原中也賞を受賞し、すでに4冊の詩集がある著者が、初めて世に問うた長編小説である。
島根県邑智郡の出身で現在東京で活躍中の著者は、『火の旅』を昨年『新潮』5月号で発表し、小説家としても力量があることを示した。文学への深い造詣と高い志が行き渡っていて、読み応えのある文学作品である。
この小説の主人公・光子は、卒業論文で「梅崎春生論」を書き、最後の小説『幻化』に強い感銘を受けて、いつかその場所をたどってみたいと願っていた。十年後にそれが実現することになる。鹿児島で梅崎展が開催されることを殿村から聞いたのである。殿村は光子の恋人であったが、近づくほど距離感を覚え、光子は苦しんでいた。
『幻花』の主人公・久住五郎は、精神病院を抜け出し、むかし海軍の暗号兵として勤務していた鹿児島を訪ねる。旅の途中で丹尾章次と知り合う。丹尾は死へ赴こうとする意識をはらんだ男で、鹿児島から熊本の阿蘇まで五郎について来る。それは五郎の分身のようでもある。
光子は小説の五郎と同じ足跡をたどる。知覧、枕崎、坊津、吹上浜、伊作、湯之浦。吹上浜では五郎と同じ踊りを真似てみるほど五郎と同じ風景を見、同じ空気を吸おうとする。小説には『幻花』の一節があちこちに挿入され、読者は、作者や梅崎や五郎と共に呼吸して歩いているような気になる。その一体感がクライマックスに達するのは阿蘇山の火口場面で一気に読ませ、圧巻である。
「ぼくは火口を一周してきます。途中でぼくが火口に飛び込むかどうか」と丹尾は五郎と賭けをする。火口の淵をふらふら歩く丹尾を、はらはらして五郎は望遠鏡で見ている。思わず「しっかり歩け」と声を出す。光子も一体となっている。
殿村への苦しい思いやいら立ちは文中に何度も出てくが、この場面に、殿村に対する光子の今後の姿勢が暗示されているのかもしれない。
二人の関係に変化や発展はないので小説の背景のような印象が残るが、名作『幻花』への熱い思いと共に文学への愛と志が伝わってくる作品である
(日本詩人クラブ会員 洲浜昌三)
昭和堂書店へ本代を払いに行き、「火の旅」は入りましたか、と聞いたら、まだです。との答え。新潮社は手続きをしていると思うけど販売会社で時間がかかっているんじゃないか、ということでした。
「ブログで紹介してるんだけど」と若大将に言うと、「そうですか。注文はまだ一冊もありませんね。」「うううう。」(名もないブログで読む人もそんなにいないので、すみませんね)
文学書は売れませんが、三郷町の関係者や同級生だった人は手にとってみて欲しいですね。記念のお宝にもなります。大田高の図書館や大田市立図書館は絶対に購入しないと図書の資質が問われます。
何年かたつと日和聡子の作品を読みたいという人が必ずあります。また初期の作品から調べて論文を書きたいという人も出てきます。その時地元の図書館に一冊もなかったらその図書館の見識が問われます。逆に初期の作品からすべて揃えていたとすれば、その時の司書の見識の高さ、視野の広さや深さを再認識することになるでしょう。
調べ物で時々図書館へいきますが、7割はお目当ての本はありません。県内や地元の出版物や資料でも無い場合があります。
それって脅迫?まあね。でも読まれれば脅迫になるけど読まれなければ存在しないも同然。故に書いたことにならない。三段論法。