この詩集は長女の小川京子さんによって編集され益田の白想社から平成18年2月に出版された。たまたま9月に益田のグラントワの売り場で見つけて買った。いま思い出しても
木村さんほど詩人らしい人はいない。時がたつほど、木村さん自身が詩だったという気がしてくる。
木村富士夫さんには4冊の詩集がある。その中から35編を集めて編集された。
木村さんは明治37年、三隅町河内で生まれ。18歳のとき高島の伝説を基に「孤島の曲」を書き帝国キネマに投稿して認められ映画化された。東京へ出てシナリオの勉強をし、22歳のとき京都へ移り、「鞍馬天狗」など31本の映画のシナリオを書いた。
33歳の時、すべてを捨てて帰郷、益田で印刷業を始め、「白想社」を創立、郷土の歴史の発掘や文化活動に没頭、昭和29年に「詩歴」創刊、昭和31年に「石見詩人」を創刊した。
この詩集の中で石正美術館の神英雄氏が映画人としての詳細な経歴を、高田頼昌氏が詩人としての活躍ぶりをていねいに紹介している。神氏は木村富士夫さんを「石見詩壇の祖として多大な影響を与えた」と書いている。
その詩から影響を受けた詩人はあまりいないと思うが、木村さんという詩人そのもの、石見詩人、純粋な生き方、文学への姿勢、等々を通して育てられた詩人は多いに違いない。
ぼくは昭和41年ごろ石見詩人に加入し、木村さんとは合評会で顔を合わせた。若くて何もわからにぼくには木村さんは偉い人だったし、あまり深い話をしたことはなかった。昭和63年2月3日、84歳で他界されたが、晩年にも毎号「雑木林」を送っていただいたのでその高い詩精神にはいつも触れていた。
ぼくが高校演劇に関係していたので朗読劇「画聖雪舟と石見」の台本を送っていただいたが、まともに礼状を出したかどうか。もっと映画や脚本や役者のことなどを聞いておけばよかった。
詩は典型的な叙情詩で「歌う詩人」であった。懐疑の念を持たずこれほど歌える詩人は現代ではいない。そういう意味ではぼくにはひと昔前の詩人に思えた。同時にこの砂漠化した現代に「歌える詩人」がいることを貴重に思っていたことも確かである。
石見の風土、石見の風、石見の自然、石見の太古の声、石見の文人の声、石見の深い心 ・・・それを聞こうとした詩人である点では第一人者である。現代詩人としての評価をする批評家はいないかもしれないが、詩人として郷土の人たち
には愛されつづけていくことだろう。そういう詩人は今のところ石見では木村さんだけである。
詩集の題になっている詩はとても良い詩だが、長いので、短い詩を2編だけ紹介しておこう。
幸福 ー三重奏ー
a
おさな児の
菜の花のような ぽんぽん や
とうめいな オシッコ ー
お々 わたしも そのような
詩情を 排泄しながら
この人生(よ)を終わりたい。
b
ハイネの詩と
五月の太陽と
モッツアルトの音楽ー。
簡素な小屋(コテエヂ)で あなたと
赤ん坊を 育てゝ行きましょう。
c
暮れなずむ たそがれの
水のようなひかり…
ものしずけさ。
さこそ 幸福とは言うらんか。
高津砂丘
くるめく太陽の光を くくんだ
砂のヌードから
防風林に消えていく 女の
あしおとに
浜木綿の花は こぼれ
海のない このトルソオに
わたしは 耳を押しあて
〈古さのまゝ 枯れた 石見の…〉
海潮音を そっと
打診するー
幽かな 蒼古のひびき。
(印刷発行は白想社 ー 益田市常盤町2-24
℡ 0856ー22ー1146 定価は書いてないが千円で販売していた)