島根県大会は10月27(金)28(土)の2日間県民会館中ホールで開催されました。中国大会は島根が開催県なので出場校は3校。審査は難行しましたが津和野、情報科学、三刀屋が決まりました。
今年度は石見地区の発表が3校になったため1校だけが選ばれ、松江地区4校、出雲地区2校、計7校で県大会が行われました。初日には持田先生の特別講演も組まれ、自らの高校演劇、青年団時代の演劇、国立劇場でのことなどを情熱的に語られました。出雲高校では野球部より演劇部の練習が厳しく、年中休みがなく顧問の狩野先生から厳しい訓練を受けたそうです。元舟入高校の伊藤隆弘先生は当時出雲高校のテニス部だったというわけです。
出場校を紹介しておきます。写真は舞台風景です。人物ではなく舞台の装置が分かるように遠景写真か縮小写真かボケ写真を使っています。
松江東は顧問岩町先生創作の「In the shape of a heart]
意識的に家族の問題をテーマにし、間の長いしっとりとした舞台を創るのがここ数年の特徴であり挑戦です。この劇もそうでした。登場人物は3人だけですが、発声ととても良く、スピードのある会話でも言葉がしっかりと届きました。感動的な舞台でしたが、こういう意識的に間の長い劇は好き嫌いが二分される可能性があります。しっとりとして味わいがあるという人と、まどろっこしいと思う人と。
どこで長い間を取るかも問題です。その場に長い沈黙の価値があるかどうか、長い沈黙を支える内実があるかどうか。
この劇では冒頭で母親が自死していることが3人の語りで告げられます。明日には3人姉妹の二番目の希が大学へ合格して引っ越していきます。劇は引っ越しの荷物をまとめながら母親に対する思いを述べるあう形で進行します。事件は既に起こった後の思いの世界です。劇としてはそこに特徴がありますが、観点を変えれば、ドラマが希薄だという弱さもあります。
大会ですから比較して賞の優劣をつけざるをえませんが、現代性のあるテーマで3人とも好演したいい劇でした。
出雲高校は中村勉作「遠い声」。今年の夏の京都大会で「全校ワックス」を上演した甲府昭和高校演劇部の顧問の先生の創作です。「全校ワックス」ははっきりした主題と展開を持った面白い脚本ですが、この脚本は明確なテーマが見えず、劇を見終わっても、ぼんやりとした不思議な感じが残ります。登場人物もみな何となく曖昧なところがあります。主人公の女子校生は不登校らしく、夏休みに一人でおばあちゃんの田舎へいくのですが、おばあちゃんは寺におこもり中で不在、女の人がいて、これが何者かよく分からない。女生徒の母親は事故で入院中と台詞にあるのだが、後では、お母さんの事故は嘘だという台詞も出てくる。狸らしき者が人間に化けて出てくるが人間か狸か狐か何かの幽霊かは明確にしてない。
すべてがミステリー風に進んでいき最後になにかどんでん返しでもありテーマが明確になるのでは、と期待して観ていてもラストは「送り火」が見えるという会話が交わされる。
何とも不思議な物語。5人の登場人物はすべて女1,女2という数字。
作者が創作した学校で上演されたときには、もっと際だった演出で面白おかしく楽しい劇だったのではないかという気がする。出雲高校は難しい脚本をそのまま素直に劇にしたので劇の面白さが出てこずに理解を超えた不可解で不思議なものが全面に出てきたのではないかと思う。
読んでも難しい脚本だけに演出で解釈を明確にしないと観客には余計分からなくなる。もっともその不思議さが魅力だと思って観たのは確かだけど。
5人のキャストは発声も良く地に着いた自然な演技で好感が持てました。
津和野高校は部員の花本彩音さんの創作で「UPSTAIRS」。
学校の空き教室でママゴトをする女子高生とそこへ入って行って演劇の練習をする女生徒との出会いから生まれる人間関係と思わぬ展開が新鮮な会話とコロスなどによって演じられます。
3年生4人が登場しますが、みんなのびのびと演じ劇が大好き、ということが伝わってきます。受験を控えて参加が危ぶまれたのですが、頑張って来てくれました。
大会2日目の朝ロビーで会ったら、「合格通知が昨日来ました」と弥生役の山根さんの言葉!思わず「おめでとう!」と握手しました。コロスの渡辺さんも一次試験に合格したとか!すごい、すごい。
中国大会の翌日が花本さんの試験日。大変だけど計画的に勉強と練習計画を作ってみんなの理解を得て大会には参加して欲しいと話しました。あの若さとエネルギーがあれば何でも可能です。時間がないと思えば、かえって集中力を発揮して何倍か有効に使うものです。がんばってください。仲のいいみんなの努力と創意工夫で獲得したすばらしい青春の勲章です。津和野の初めての中国大会出場です。部員は3年生だけですが、来年の部員へバトンタッチできますように。
情報科学高校は山内貴子作「川の向こうへ」。顧問の岩谷正枝先生の潤色です。
地区大会から更に創意工夫して舞台が良くなっていたことが特徴として挙げられます。「一生懸命表現しよう、表現しよう」という押しつけや力みがなくなり演技や会話が自然になりました。何と言っても山場のみどりとあきらの激しい対立がこの劇にインパクトを与えました。対立も平板ではなく言い合いが発展していき新たな心の風景が次々と見えてくるという新鮮で深みのある喧嘩で観客を引きつけました。
最初の大仰な出だしは一考を要するかも知れません。ちょっと取って付けたような異質な感じを与えます。特にドライアイスは次の場面とつながらない。劇は個人の問題を広い世界の問題、例えばイラク問題、テロ問題、と連想させる作り方になっています。とても面白い発想ですが、コンクール形式の大会では、必ず異論が出るでしょう。テーマが分裂しているわけではないのですが、並列したような印象は残るからです。6人のキャストはすべて女性でしたが、2人の2年生の熱演が光りました。1年生も地区大会より数段進歩していました。中国大会は初出場です。
部を創立された故野崎宏明先生もきっと観に来られることでしょう。
松江商業は塚本政司作「てんぷら」。脚本を出雲弁に変えていたのは作者の希望だとか。いい考えです。方言は地方語とか最近では生活語などという言い方もします。気持ちが自然に出せ、自然に入ってきます。
平成10年に鳥取の梨花ホールで全国大会があったとき、九州の池田高校が「たんぽぽとかずのこ」(畠田恭子・塚原政司 作)ですばらしい劇を上演しました。その作者です。女子寮の部屋に段ボール箱が50個くらい積んであって、それを一個ずつ引っ越しのために運び出しながら劇が展開するというとても斬新な発想の面白い劇でした。
今回の劇も不登校の女生徒が転校するために寮を引っ越しするという設定です。不登校だとはっきり分かるのはラストの場面になってからです。ドラマは最後にある、という作り方です。
3人の女生徒は滑舌も良く演技もうまくて、淡々と会話だけで進む劇を演技力で引っ張っていきました。それはみんなが認めました。
審査は難行し、松商、海星、情報で3回目の投票になりました。どの学校が選ばれてもいい状態でしたが、1校を選ぶとなると議論している内にどうしてもマイナス面が浮上してきます。接戦の時にはいつもこうなるものです。
浮上してきたのは、「3人はうまいが、終わりの2分になってドラマが立ち上がった」という点です。作者は意図的にそういう作り方をしているわけで、そこが面白いのですが、見方は分かれます。それは脚本の問題で、3人の部員がとても上手に演じたことは誰もが認めました。
海星高校は「SENSOU」部員の小村彩佳さんの創作です。真正面から憲法9条など政治問題を取り上げ、それをクイズや討論形式など多様な表現で楽しくみせてくれまいした。若々しいとてもいい劇でした。作者には創作脚本賞が贈られました。次ぎに感想を記してみます。
・個性が際だっていて高校生の教室らしい。楽しんで観ながら考えさせられた。台詞も良く聞こえた。
・元気さ、スピード感があった。エネルギーを感じた。よく調べて台本を書いている。
・クイズを取り入れたり工夫してテーマを追い続けている。元気がある。
・政治の問題は避けるが、よくぞとりあげた。剛速球。真正面から取り上げている。劇中のシュミレーションで理論だけではないことを体験させるのもいい発想だ。
中学生も一人出演していましたが、うまかったので誰も気がつかなかったでしょう。新鮮で生き生きとしたとてもいい舞台でした。
ラストは三刀屋高校の「笑い女」(亀尾佳宏 作)です。
8月末の国立劇場での上演から間がないために、どんな劇になるかちょっと心配していましたが、部員たちの力を十分引き出して魅力的な劇に仕上がっていました。
この劇は平成15年に中国大会で好評だった「笛男」の系列に連なる子供の世界の劇です。「笛男」もすばらしい劇で今も忘れられません。前年度の「ぽっくりさん」につづいて全国大会へ出ても遜色ない舞台でした。
緞帳が上がると廃屋の部屋が浮かびあがります。それだけで物語が立ち上がってきそうなすばらしい装置です。窓の向こうで子供たちがシルエットになって浮かびます。実に美事な絵になるような展開です。
6人の女生徒はみんな一年生です。笛男の時の部員に比べれば滑舌や発声にまだ向上の余地はありますが、まずまずです。短期間でこれだけ子供らしく動けるように仕上げるとはたいしたものです。
問題は「場」の使い方です。次ぎに感想を記してみます。
・音響と台詞が重なる所もあった。もう少し解決して終わりにしてほしい。未消化のまま残っているところがある。
・テンポがいい。小道具の使い方がうまい。明夫とアキオの関係だとか分かりにくいところがある。
・明夫は何者か。笑い女は?小道具の使い方がいい。観ているひとが分かりにくい。
・台詞が速いのでもっと訓練して喋ってほしい。高い声がキンキンならないように。
・明夫と子供たちは時間的に10年以上の時の差があるはずだが、「同じ場」に出てくるし、部屋の上と下の使い方にも矛盾があり、分からなくなる。明夫が部屋の外の人たちと交わす会話が度々あるが、それはどんな人たちなのか。最後に壁に映るのシルエットは誰のシルエットか分からず混乱するが、母なのか。必要があるか。
共通に指摘されたのが、「部屋の場と時間」の問題です。そのことは幕間討論でも指摘しましたが、基本的な矛盾を抱えたまま劇になっているのではないでしょうか。
詩でも短歌でも俳句でも小説でも劇でも文学や文芸はみんな分かってしまえば面白くありません。人間は不可思議な存在ですから、作品の世界も理解を越えたところがあるのが普通です。だから文学や芸術は存在価値があるのでしょう。簡単に言えば、「分かりにくい」「難しい」のが普通です。一般常識を越えた深さや広がりがあるからです。そこに限りない魅力もあります。
しかし、矛盾があって難しいとか、構築や構成が不十分だから分からないとか、作者の誤解があるために分からないとか、表現が未熟だから分からない・・・などは読者や観客の責任ではありません。
持田先生は、「時間芸術である演劇には’時間’に対して
は厳密な扱いをしなければいけない。その点は絵画とは基本的に異なる。演劇は一回性の芸術だからだ」というような意味のことを言われました。
みんな笑って楽しく劇を観ながら、同時に何か失ったものを懐かしく、温かく、寂しく、感じながら劇を観るのです。
装置も小道具も音響も証明も揃ったとてもいい劇でした。子供が観ても高校生が観ても大人が観ても老人が観てもきっと
満足するでしょう。その広さがぼくは好きです。
中国大会は松江の県民会館で11月24(金)25日に行われます。広島の先生方から、土、日ではないので観にいけないと残念がられました。開館の都合があったのでしょうか。
三刀屋、津和野、情報科学各高校のみなさん、どうぞ肩の力を抜いてのびのびと劇を楽しんで下さい。