はぐるま座 童話劇「天狗の火あぶり」公演

はぐるま座「天狗の火あぶり」
 2006年7月24日サンレディー大田で詩の朗読と童話劇が上演されました。約300人が鑑賞しました。はぐるま座は山口市を拠点に活動し、創立54年の伝統を持つ劇団で、現在2班に分かれて全国公演中。島根では10箇所で公演し大変好評だったようです。親子券(3千円)もあったので、幼児や小学生も多かったのですが、詩の朗読にも静かに耳を傾けていました。


 第一部は詩の朗読で磯永秀夫の「一かつぎの水」「右手のしたことを」「8月の審判」朗読劇「花咲く桃の木の下で」。
 最初の二編の朗読では丁寧に詩を読もうと意識しすぎて一定のテンポで朗読されたので、詩の枠組みと言葉ははっきりと伝わってきたのですが、言葉の勢いや呼吸やテンポや詩人の息使や訴えが失われ平板になったのではないかと思いました。空も詩の朗読には苦労していますし、7月2日には詩の朗読会を開いたので、とても関心をもって聞きました。朗読劇は映像や音響を見事に使って3人の表現が生きていました。

磯永詩朗読.JPG
散文詩なので3人で分担すれば劇に近くなり、朗読劇の魅力が生まれます。

 「天狗の火あぶり」は子供たちにも大変受けました。題そのものがとても空想を刺激するいい題ですし、天狗そのものが子供たちの興味をひきます。

 ぼくが特に感心したのは村人たちの動作や言葉の表現です。言葉ははっきりゆっくり大きな声で喋り、動作も狂言のように大きく大袈裟でした。そのため童話や童画の世界を目の前にみているようで、観客の意識ははっきりと日常生活から離れます。天狗の声はスピーカーを通して大きくしたのも効果的でした。圧倒的な声量と力で観客の体にまで響いてきます。

少し気になったのは、劇は安永秀雄の童話を忠実に舞台化していましたが、そのために庄屋さんは悪者という図式化が劇をパターン化し表面的にしたのではないかいう気がします。
 村人が天狗を生け捕りにして木に縛りつけ、今にも火あぶりにしようと意気が上がっている時に、庄屋さんが来て、天狗が「この村の正直な孫兵衛父娘を村八分にしたのはどこのどいつじゃ。ん?」と庄屋さんの悪行を暴露し、庄屋さんは追い詰められ、悪いのは庄屋さんだった・・・ということを村人は知ります。
 2つの流れがぶつかりクライマックスになって、思わぬ真実が出てくる大切な場面を天狗と庄屋さんのやり取りだけで解決していくのは劇としてはあまりにも安易すぎる気がします。しかも孫兵衛さんと娘がどんな事件で村八分になったのか観客には分かりませんし、舞台に登場もしない人物です。
 ぼくに言わせると劇の核がすっぽりと抜け落ちてできています。それに気がつかないのは、幕開きから天狗が舞台中央の松に縛り付けられ火あぶり寸前という劇的なスタート、天狗のスピーカーから出る大音声、村人の大袈裟な表現と漫画チックなオーバーな動き・・・じっくり中身や舞台を味わう余裕を与えず、一気に全力疾走して劇は終わるのです。

 これはこれで成功といえるかも知れません。劇団はこの劇を子供たちとその親を対象につくっているからです。
 後日の反省会で、文化協会の勝部義夫さんが「ゆっくりとメリハリをつけて大声で喋り表現もオーバーにしたのがよかった。普通あんなにテンポのない劇だったら観客は飽きてしまうけどね。童話だからよかったんでしょう。」と言われましたが、さすが演劇のプロ、至言ですね。

 はぐるま座は磯永秀雄さんを複眼で見ることはしないようです。磯永さんの作品には平和や正義、反戦、反権力への強烈な意識があり、表現も強烈な場合があります。それは原点のマグマが強烈だということで文学者には不可欠な強みです。しかしワンパターンの発想も見えます。一種の類型化です。庄屋さんは悪 ー それを前提にしたら童話はいいにしても文学は陰影を失いスローガンに近くなってしまいます。
 20年ぐらい前「高山寺決起」を観ましたが、今残っているのは高杉晋作を初め維新の志士たちが改革を求めて舞台を右へ左へ走り回る姿だけです。人間を描かないと文学や劇は感動が残りません。(今はその劇は大幅に修正して全国公演をしているそうですが、再び観てみたいものです)

 童話を劇にする場合の問題点を考えさせられました。童話が果たせる効果。演劇が果たせる効果。それは違います。とすれば、劇化するときに、脚本家は童話のエッセンスは更に生かしながら、立体的構造的に新たな創作をする意識が必要だと思う。

 8月20日に今回の島根公演の「報告集」を送っていただきました。公演を成功させた各地13人のが感動と感謝の言葉を書いておられます。大社の実行委員長・村上友代さんが感動を記すと共に、少し批評も書いておられ、とても参考になりました。

「欲を言えば他の実行委員たちからの声でもありますが、作品を忠実に表現するのも大切ですが、脚色により何かを変えることが作品の中を貫いている”人間らしい生き方、正しいとらえ方”を強調できるし、もっと観ている者の心の中にすんなり入っていくかもしれません。」

 ぼくは実行委員会の末席を汚していたので、後の反省会にも出て感想文を読ませてもらいましたが、幼児にも好評でした。来年(平成19年)の2月には川合小学校の体育館で公演するそうです。川合の人から希望があったそうです。

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 詩人ではぐるま座の精神的バックボーンでもある磯永秀夫は東大在学中に学徒兵として南方戦で戦い九死に一生を得て復員し、教職についてから平和を求め反戦詩や童話などを書きましたが、55歳で惜しくも他界しました。

今年は没後30周年になり、下関市、「海峡メッセ下関」で10月8日午後1時から「磯永秀夫詩祭」が大々的に開催されます。どうぞ参加してください。

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

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