大田名画シアター「3丁目の夕日」を見る

3丁目の夕日
 5月20日、市民会館でまたいい映画を見ました。大田名画シアターのお陰です。ぼくが金も持たず夢だけを持って上京したのが昭和34年。次の年が強烈な安保闘争。激しい政治理念の物理的な衝突。しかしそれは政治だけではなく、文学でも音楽でも映画でも正に高揚期でもあったのです。みんな貧しく、夢と理想だけが先走っていた時代。オート三輪車が走り、洗濯機、テレビ、冷蔵庫が広がり初め、新幹線ができ、東京オリンピックのための建築ラッシュなど経済が復興しはじめた時代でもありました。その時代を背景に温かい人間関係が感動的に描かれた映画でした。脚本、演出という面からも学ことが多々ありました。


 昭和という時代が見直されているのは面白い現象です。ぼくは6年前にマレーシャの農村へ行ったことがありますが、子供や老人など10数人の大家族がとても温かく歓迎してくれました。その貧しさは正に日本の昭和25年から35年時代と同じです。同時に人間的な素朴さもその時代と同じでした。昭和の日本へ帰ったような懐かしさに包まれました。

 日本は経済的に豊になり、同時に人間的なものを失ってきたのです。この映画もそこへしっかり焦点を当てて作られていました。3丁目のごちゃごちゃとした庶民の家。人情味あふれる人たちが賑やかに生活し笑いを起こしながら感動的なストリーが展開されます。その向こうで東京タワーが日に日に高くなっていきます。(昭和33年に完成した)それはこれからの三丁目の人たちの未来、日本の未来を暗示しています。得るものと失うものを・・・。

 原作は小学館の「週刊ビッグコミックオリジナル」に30年以上にわたって西岸良平氏によって掲載され1400万部以上発行された人気作品だそうです。(ぼくは全く知らなかった)その一部を山崎貴監督が映画化したのだそうです。日本アカデミー賞14部門を受賞したそうですが、見応えのある感動的な映画でした。

 人をさそって大田名画シアターへ行きましょう!

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

コメントを残す