20周年記念で上映された映画は井筒監督の最新作「バッチギ」で、市民会館に約80人、というのは寂しい限りでしたが、とてもいい映画でした。映画が終わって大田市文化協会会長の勝部さんと文化庁芸術文化調査官の佐伯さんとのトークが行われました。コーヒーを飲みながら、楽しい話しを聞きました。
「バッチギ」は昭和30年代前後にに大学生活を送ったぼくにはとても懐かしい映画でした。「イムジン河」というとてもいい歌が流行りましたが、直ぐに歌われなくなりました。朝鮮半島のことを思うとき、ぼくの心の中では必ずその歌詞とメロディーが流れていました。先輩や後輩に朝鮮籍の人もいて、とても優秀で立派な人たちでしたが、家族ともども日本ではみな苦労していました。北朝鮮の国作りに貢献するという希望を持って帰って行った人たちもたくさんいます。ぼくの身近な人の中にもいます。いまどうしておられるでしょうか。
この映画は「イムジン河」の歌をとてもうまく使い、それぞれの人物やストリーが重なって厚い層をなすラストシーンでは実に感動的でした。井筒監督の演出力のすごさに圧倒されました。暴力場面が多く激しいのにはちょっとついて行けないところもありましたが、現代を象徴する演出だという点では理解はできます。最近韓国で上映されヒットしたそうですが、文化の相互理解という点でうれしいことです。韓国の人たちはどんな感想をもったことでしょう。「チャングム」にはまってしまったぼくとしては、日本のすばらしい映画でお返ししたいのですが・・・・
さて、「大田名画シアター」のことです。とても大きな役目を果たしてきたことを高く評価しなければいけないと思います。その中心に勝部義夫さんがおられたからここまで継続してこられたのだと思います。今回のトークでも映画の面白い話しがたくさんありましたが、勝部さんが黒沢監督の映画に出演された時の話しは、まさに黒沢監督の面目躍如たるものでした。
高いやぐらの上で合戦の場面を監督をしていた黒沢さんが、突然「そこの武士をはずせ!」とすごい剣幕でとんで来て、勝部さんを外したそうです。勝部さんは武士の頭のような役だったそうです。勝部さんはどちらかというと色男タイプです。野武士のような野生味がむんむんした人ではありません。そこが黒沢さんのイメージに合わなかったのでしょう。その後の話は長くなるので省略しますが、貴重な人です。今のうちに話しをたくさん聞いておきたいものです。
ぼくが昭和45年に大田で今のワイフ様と出会った頃には(今の?What do you mean?)大田市には映画館がありました。竹腰家具店のところの「東映」(だったかな?)と、北の宮神社入り口のオリエンタル映画(だったかな?)です。その後すぐになくなりましたので大田では映画は見られなくなり、さーすが大田!と思ったものです。(戦後には4も館あったそうですが、知っている人は教えて下さい。書き込んで下さい)
昭和60年3月、映像による地方文化の振興を目的に映画が好きな人たちが集まって発足し、勝部さんが代表になりました。昭和59年に市民会館が改修され、35㎜映写機が設置されたのが大きなきっかけになったようです。それ以来ほぼ毎月一回名画を上映し、20年間で約400本、総人数8万を超える人たちが鑑賞したことになるそうです。
その間にすばらしいゲストを招いてトークショウも開いています。例えば、恩地英夫監督、清川虹子、星由里子、香川京子(高校のころファンだった!)、篠田正浩監督、鳥取出身の司葉子、島根県出身の松林宗恵監督などです。勝部さんという人脈があって実現したことです。
これからも毎月上映されていきます。話題の映画の時は開館前に長い行列ができていて、知らずに近くを通ったときには、「何があったんだ!」とびっくりすることもありますが、普通は本当に少人数です。貴重な映像文化の火を消さないようにみんなで守っていきたいものです。