昨年の夏、久しぶりに伊藤隆弘先生の原爆劇を広島へみにいきました。劇団Fは舟入高校演劇部出身者を中心にしてできた劇団です。広島市立第一高等女学校(市女)は原爆で生徒教職員を合わせて676人という犠牲者をだしました。この劇は敗戦直後の市女の史実をもとに書かれています。(写真はアンコール場面。懐かしい片山稔彦先生の姿も見えます。片山先生は広島県の高校の演劇部顧問ですが、舟入高校の生徒だった時は伊藤・山内名コンビ顧問のもとで中国大会にも出場し活躍されました。この劇でも広島弁で味ある役を演じられました)
あらすじ ー 二人の女性徒が顧問から言われて、前身校の原爆慰霊碑建立の記録を探すために書類倉庫へ入ると、突然タイムスリップして、慰霊碑建立を進めていた当時の校長や遺族会の人たちがいる世界に入り込む。多くの犠牲者を出した犠牲者を慰霊するために慰霊碑をつくろうと奔走するが、占領下で厳重なプレスコードが敷かれている中、思うように進まない。湯川秀樹博士から意見をもらい平和塔として建立される。それは広島市内で最も早い昭和23年8月6日だった。当時は「原爆」という言葉さえ使用が禁止されていた。劇の回想場面では、ほとんどの女生徒や教職員が死亡する中で唯一生き残った女学生の苦悩や葛藤も描かれて心を打つ ー
舟入の劇だなー、と懐かしく思いながら観劇しました。無駄な動きがない。発声がきちんとしている。所作や言葉に品がある。現実への鋭い突っ込みや告発はないけど、ヒューマニティにあふれた叙情や感動がある。音響、照明、装置を含め調和のとれた安心してみられる世界がテンポ良く展開される。
一女や敗戦直後の舟入高校の卒業生と思える高齢者の姿もたくさん見られました。きっと感動されたことと思います。
伊藤先生は岡山生まれですが、出雲高校の卒業です。広島大学では故・開藤哲朗先生の後輩です。1999年に校長として退職されるまで舟入に勤務。一貫して原爆を素材にした劇を創作。全国大会11回、全国の最優秀賞1回、優秀賞5回という輝かしい実績を残しておられます。
終わって平和公園を散策。理不尽な皆殺し作戦に遭い、苦しみ、泣き叫び、訳もわからず助けを求めて歩き、横たわり、うずくまり、息絶えていった無数の人たちはどんな思いだったろうか、と胸を締め付けられました。
劇が終わってロビーで伊藤先生と話していたら、舟入高校の現顧問・黒瀬貴之先生も手伝っておられたらしく、出てこられました。尾道の後藤良雄先生も来ておられて懐かしい出会いとなりました。三原市で広島県大会が開催された時の事務局長さんで、西沢周一先生と審査で参加し、お世話になりました。もう退職されましたが、現職の時から毎月「尾道だより」というタイトルでハガキ通信を送っていただいています。卒業生達にも送っておられるとか、誰も真似ができません。