全国大会の審査・講師はプロから4名、演劇部顧問から3名という構成になっています。この写真は審査員控え室で会長の永嶋達夫先生と共にぼくのカメラで写した貴重な一枚です。鴻上尚史さんは劇作家で演出家。早稲田大学在学中に、劇団「第三舞台」を結成、その劇は切符が手に入らないほどの評判を呼びました。ゴールデンアロー賞、紀伊国屋演劇賞、岸田國士戯曲賞などを受賞、著書も多数、テレビラジオでも活躍中です。
内山勉さんは舞台美術家。俳優座、前進座など数多くの名作の舞台美術を担当しておられます。話していてびっくりしたのですが、平成11年に浜田市で上演された岩町功原案・演出の「我が夢は波濤の彼方に ~八右衛門と三兵衛」の舞台デザインを担当されたということです。舞台に設置された大きな帆掛け船がとても印象的で今でもはっきりと浮かびます。ちょっとした装置も効果的でした。
オーハシ ヨースケさんは身体詩パフォーマー、俳優、プロデューサーとして海外でも活躍中です。「早大劇研」で演技を研鑽。三輪えり花さんは慶應義塾大学卒で劇団昴に所属する演出家で俳優、大学や研修所でオペラやバレエの講師などをされ広く活躍中です。
大久保 寛さんは広大卒、鹿児島の高校で演劇部の顧問として脚本を書き5回全国大会へ出場。今は退職して農業もやっておられますが高校演劇の審査や指導も。浜田高校が、大久保さんの名作「はだしのわとり」を上演して中国大会へいったことがあります。溝口 勲さんは茨城県生まれですが、早稲田を卒業して北海道の教員になり
演劇部の顧問をつづけ、退職の年に書いた「キチン・カレー」が全国大会で優秀賞と創作脚本賞を受賞しています。
(中国地区の顧問を紹介する島根の細田先生)
3日間一緒に劇を観て控え室で自由に感想を述べたり議論したり、とても楽しく充実した時間を過ごしました。鴻上さんは愛媛の出身です。ぼくが「松山大会の審査員だったでしょう。あの時の『ぼくたちの甲子園』は高校演劇の名作で、それを越える作品はまだないと思いますよ」と言うと、「そうかね。あれはいい劇だったねぇ。最後にびっくりするような劇が飛び出してきて全員一致で選んだ。今も評価される名作だとはうれしいね。」となつかしそうに話しておられました。
内山さんも気さくな人で、「脚本を送ったら装置についてアドバイスしてもらえますか」などと虫のいいお願いをしたら、「いいですよ」と言われました。オーハシさんは「身体詩」ということで、詩についての関心もあり、「呼ばれたらなんでもお手伝いしますよ。講師でも行きます」と言われました。子供のように澄んだ心を持った人でした。三輪さんは演出家で自らが演技者でもあることもあり、背筋がピンと張り、話しぶりや表情や立ち居振る舞いも「絵になる人」でした。卓見も何度か聞きました。
審査は一つの劇に対して一人一人が意見を述べあい、優秀賞4校を投票しました。各自が選んだ結果はそのうち「演劇創造」に掲載されます。だれがどの劇を選んだかが分かり、透明性が高いことはいいことですが、責任も重大です。劇の評価は各人バラバラということはなく、議論しているうちに自然に落ち着くところへ落ち着くというのが印象的でした。いいものは誰が観てもいい、ということなのでしょう。
「演劇創造」には全員が劇評を書きます。大変です。こうしていても、〆切だけは刻々と近づいてきます。