島根県邑智郡三郷町(旧邑智町)生まれで大田高校出身の日和聡子さんが2002年(平成14年)第7回中原中也賞を受賞しました。2004年11月には新しい詩集「風土記」を紫陽社から出版し好評です。「文学界」の扉に詩を書き、「現代詩手帳」では「女性詩人34人集」に選ばれるなど注目されています。今も現代詩手帳に毎号作品を書いています。ますます期待の詩人です。
独創的イメージの展開と言語空間 中原中也賞受賞
日和聡子詩集『びるま』
2002(平成14)/4/12山陰中央新報 洲 浜 昌 三
従来の詩人にないユニークな感覚で言語空間を構築し、新風を吹き込んだ日和聡子さんの詩集『びるま』(私家版)が第七回中原中也賞に選ばれた。
この賞は中也の生誕地山口市が新人発掘を目的に「新鮮な感覚を備えた優れた現代詩の詩集」に贈るために創設したもので、今回は百八十七点が選考対象となった。
五人の選考委員の一人詩人中村稔氏は、「だれの影響も受けておらず独創的。びっくり箱を開けたような意表をつくイメージの展開があり、ユーモアに富んでいる」と高く評価した。
日和さんは島根県邑智町の生まれで、平成四年に大田高校を卒業し、立教大学で日本文学を専攻した。詩は小学校一年の時から「お気に入りの帳面に書いていた」と言い、高校在学中には「サーカディアンリズム」というユニークな詩が『島根文芸』の銀賞に入選している。当時の国語担当教員は「ユニークな文章を書き、教員の指導範囲を超えていた」と語っている。
いつか同人誌に迎えたいと思っていたら、何年かぶりに『詩学』の研究作品欄でその名前を目にした。毎号合評者たちに注目され、独創的で理解を超えたその詩は評者たちを悩ませ、評価は分れることもあったが、その独自性に関しては常に一目置かれていた。
詩集から「猿投会参夜」を引用する。
猿投会参夜
猿投げの会に誘われたもので
一度 行つてみようと
そういうはなしになつた。
九月の大猿会の折には、
くなが会長という人が
長袖長ずぼんでがんばつた。
立派なお姿であったと
そう会誌に書いてあつた。
にわかに掻き曇つた空が
猿産みたちを喜ばし
橙色の腹時計が
宙に浮かんで
逃げまくる。
次回の猿投げの会までには
猿を百匹産んで来るようにと
帰り際 口を酸つぱくして言われたが
どのようにすると
そのように出来るのか
夕食の食卓で
額をくつつけ合わせんばかりに
相談している
この詩に難しい言葉はない。しかし理解を超えている。「猿投げの会」「猿産み」「猿を百匹産んでくるように」とは何のことか。「大猿会」を「大宴会」と置き換えて読むことはできる。冷めた人間の目には「宴会」で興じる男は「猿」のような存在だ。しかし宴会の風刺詩として読むのは自由だが、それによってすべて理解できるわけではない。作者の意図はもっと違う次元にあると思える。
言葉の使い方もどこか古風で奇妙に引っかかる仕掛けになっている。「誘われたもので」「立派なお姿」「掻き曇つた空」。なぜ「くなが会長」なのか。「行つて」「がんばつた」「であつた」などすべて促音を避ける表記方。「そういうはなし」「そう会誌に」「そのように」など意図的にぎこちない表現。そこからなんとも言えない素朴で古風な土俗性が滲み出てくる。「猿」も同様である。
理解不能、荒唐無稽と片付けるには高度に意図的であり、面白く、残像が新鮮である。
理解は共通の経験や認識が基底にあって成り立つ。しかしこの詩人はそれを拒否することからスタートする。ありふれた日常の中に異界を持ち込むことによって手垢のついたイメージを払拭し、新たな次元の詩的言語空間を作り出し、それを楽しもうとしている。従来の暗喩や隠喩とは異なる独創的で奇妙で新鮮なイメージの世界である。常に素材との距離があり、そこからユーモアが生まれてくるのもおもしろい。
この詩集は英訳されるという。誰がどう解釈し英訳するか。これも楽しみである。
(日本詩人クラブ会員 大田市久利町)