平成13年4月9日山陰中央新報掲載。150号を記念し、同時に島根の詩の現状についても書いた記事。タイトルは「松江から全国へ発信 同人の詩集60冊を越える」。
松江から全国へ発信 同人の詩集60冊を越える
ー「山陰詩人」150号刊行と島根の詩誌ー
2001(平成13)10/9山陰中央新報 洲浜昌三
島根で発行されている詩の同人誌は百号を超える歴史を持っている。その中で『山陰詩人』が百五十号記念特集号を出したのを期に、その活動状況や意義を考え、他の詩誌の現在についても思うところを述べてみたい。
出雲市の『光年』は昭和31年の創刊で、この四月に117号を出した。葉紀甫、喜多行二、結城司郎たちが意欲的な作品を発表していた頃、この詩誌は中央からも注目されていた。身辺雑記風な詩ではなく、文学としての詩の地平を切り開く可能性を秘め、純粋な詩精神を内に湛えて詩と格闘し作品に結晶していたからである。
しかし、編集者の加藤一恵が編集後記で書いているように「五年の間に三人の大きな人たちを失った空虚な穴」はあまりにも大きい。
四月発行の最新号では、吉田靖二の奥行きの深い詩が光っている。錦織雅絋の小説、坂口簾の評論が本の半分を占めている。新たな個性を持つには時間が必要かも知れない。
昭和三十一年に益田市で故キムラフジオが創刊した『石見詩人』(編集・高田頼昌)は110号を重ねた。二十三名の同人の内十三人が七月発行の号に作品を発表している。詩歴も長く知名度も高い岡崎澄衛は高齢で最近発表していない。
この詩誌は誠実に自己や時代と向き合って詩を書く同人の個性を尊重するのが方針なのかも知れない。意識や活動が詩誌内にとどまっている感がある中で、八十五歳を越えた肥後敏雄の詩精神あふれる旺盛な活動や、五冊の詩集がある閤田真太郎の存在は貴重である。内田健司、吉岡久美子、高田節子、熊谷泰治、金山清、山崎正勝、古恵強、有川照子、柳楽恒子などが個性的な詩を書いている。
昭和三六年に松田勇、帆村荘児の提唱で発足し、翌年創刊号を出した『山陰詩人』は昭和四二年から田村のり子が編集を担当し現在に至っている。
その間の活動状況を見れば、この詩誌には明確な方針が見えてくる。簡単に言えば、「新しい書き手を常に加え、季刊を厳守して絶対に書かせ、全国の詩誌編集者や詩人に作品を読んでもらい、批評を受け、優れた作品は詩集にして世に問う」ということである。 新旧同人で六0冊以上の詩集等が出版されていることは地方の詩誌としては驚くべき実績である。また各号で必ず合評記を載せて批評し合い、発刊した詩集には必ず書評を載せる。これは著者には励みとなる。自らも評価の高い八冊の詩集等を持ち「若い頃から編集大好き人間」だと言う田村が中核にいて百五十号達成が可能だったことに異存を挟む者はいないだろう。「詩学」の「詩誌選評」でも「新たな作風を意欲的に考える書き手が揃う山陰詩人」などと中央誌の評価も高い。
平成十年以降発行された新旧同人の詩集等を招介しておこう。 田村のり子『幼年譜』、詩史『島根の詩人たち』、渡部兼直『もっともやわらかい詩』『歌枕』、『大谷従二詩集』、佐々木道子『花柄の子供服』、新井啓子『水曜日』、雲嶋幸夫『ふたたびの生還』、松田勇『空に楽書』、川辺真『からっぽの春』、金山紀久重『敦煌の春』、小林尹夫『時間の橋から渚へ、水の童たち』、桑本豊治『花鴨』、石木十土『工場』、『影山節二全詩集』、小笠原信『遊べ、蕩児』、槇原茂、随筆『四季の譜』
最後に、益田で田原敏郎が発行する児童詩誌『蟻』が八十号に達し、浜田の山城健を事務局長に「子どものうたを育てる会」が発行する児童生徒公募作品集が二十六集の歴史を重ねていることも記しておきたい。これは全国的にも数少ない貴重な活動である。
(日本詩人クラブ会員 島根県詩人連合理事長 大田市久利町)
注:「山陰詩人」が150号に達したので、それを期に島根の詩の状況も書いて欲しいと文芸部長から依頼されて書いたもの。紙面には山陰詩人の表紙の写真も掲載されている。