詩 「空にそびえる草原」 ~三瓶山に寄せて~

平成25年5月5日から18日まで、大田市民会館で「なつかしの三瓶山」という写真展・絵画展をやっています。三瓶山が陸軍の演習場だったころの貴重な写真もありました。ふと以前書いた詩を思い出したので三瓶山のPRをかねて紹介します。

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空にそびえる草原    
洲 浜 昌 三

広大な草原の海原が 目の中に飛び込んできたとき
山育ちのぼくの世界は砕け散った
ー草原(くさはら)が空までつづいているー
昭和三十年高校生の時のこと

その後この山は国立公園に指定された
「全山が芝 根笹でおおわれわれ
世界的にも貴重な草原風景の美しさ」                       それが指定の根拠になったという
昭和三十八年のこと

この美しい山を再び訪れた
国立公園指定審議委員の沼田氏は                        「昔の面影はまったくない
指定を外すべきだ」 と語ったという
平成三年のこと

30年の間に何があったのか

牛の姿が広い草原から消え
雑草や雑木が自由に伸び伸びと育ち
山頂近くまで杉やカラ松が植えられ

貧しかったこの国は
世界第二位の経済大国になった

牛の放牧は江戸の初期に始まるという

明治元年 3000頭
昭和33年 1766頭
昭和41年 743頭

標高1126メートル
山頂までつづいた美しい風景は
牛と大地が生み育てた草原だったのだ
350年の歳月をかけて

この詩は随分前に書いたものです。ちょと手を加えました。三瓶山を書いた詩は石村勝郎さんの詩がありますが、他には目に触れていません。大田市民会館で三瓶山写真展をやっていましたので、ふと思い出して、この詩を取り出してみました。

・沼田真氏は千葉大学名誉教授で国立公園指定審議委員だった。
・三瓶山の放牧は、寛永十二年、会津若松藩四十二万石から大田吉永藩一万石に左遷された 加藤明友が実施した農業政策の一つ(石村禎久著「三瓶山」)
・平成八年春、意識ある人たちの運動により二十四年ぶりに三瓶の放牧が再開された。
・放牧が再開され、観光客の中には「国立公園に牛の糞がある」と抗議する者がいるという。そんな人はディズニーランドへ行け!

 

日和聡子さん、野間文芸新人賞受賞

2012年11月9日、日和さんからの手紙で、第34回野間文芸新人賞を受賞しました、という知らせがありました。おめでとう、ございます!日和さんは邑智郡美郷町出身で大田高校卒業、現在は東京で詩や小説で注目されている期待の人です。

昨夜、3年前にこのブログに書いた「人物しまね文学館 日和聡子さん」の記事を読んだ人の数が急増し、なんでかな、どうしたんだろう、なにかあったんだろうな、とは思っていました。多くの人が検索して読んだんですね。ブログはこういう時に力を発揮しますね。新聞や本に書いても3年前のことを捜して読む人はそんなにいないでしょう。

受賞した『螺法四千年記』を紹介ます。詳しいことはまた「詩の散歩道」で。

 この本については現代詩作家の荒川洋治さんが毎日新聞の書評で高く評価しておられました。荒川さんからご丁寧に新聞のコピーを送っていただいていましたので紹介します。
 字が小さくて読みにくいと思います。読みたい人は図書館で読んでください。コピーが欲しいという人があれば送ります。この本は次の出版社から出ています。幻戯書房は辺見じゅんさんが発行者なのですね。素晴らしいエッセイや詩を書いておられて、あの文章を読むと現実の物がドスンと胸に落ちてきて住み着きます。
 以上、速報です。まだ今日の新聞でも報道されていません。日和さん、おめでとう!

午後から大田小学校で島根県音楽教育研究大会があり、そこで仁摩小学校、仁摩中学校生が朗読と合唱による「琴の鳴る浜」(脚本・詞  洲浜昌三、作曲 長坂行博)を上演します。そのあとは准看護学校の授業、そのあとはにま屋で文化プロデューサー講座の懇親会。ハヤクイカナイトオクレルゾイソゲ!ハイ!

「人物しまね文学館」出版祝賀会終わる

2012年5月26日(土)松江の「サンラポーむらくも」で「人物しまね文学館」の出版記念祝賀会が開かれました。50数名の出席者があり盛大な祝賀会となりました。溝口知事の挨拶があり、池野誠会長が「全国にも例のない先駆的な出版」と本の意義とともに協力者への感謝を込めた挨拶がありました。

故宮田隆さんの娘さん、山陰中央新報で編集を担当された岡部さん、長崎から参加していただいた詩人の高塚かず子さんの挨拶。それぞれ貴重なことばがたくさんありました。例えば:

「三重県は古事記に関係する伊勢神宮がある地だけど、そのために特に文学が盛んというわけではない。島根には同じ古事記や出雲風土記の神話があり文学も盛んなのは何故でしょうか」

「文学は永遠の命を持っています。島根の子どもたちは、このような本を手にすることができて幸せです」

久しぶりに出会う人がたくさんあり、次々と話していると、あっという間の2時間でした。最後の挨拶はすはまくんがしました。

終わって高塚さんと川辺さん野津さんと喫茶店へ行き2時間ばかり楽しい文学談義をしました。みなさん、おつかれさまでした。

本は大田では昭和堂書店にあります。山陰中央新報の販売店でも購入できます。すはまくんにいうと詩人連合買取分を割り引きで購入できます。辞典として家に一冊(上下で2冊)あればきっとHelpful(こんなのが飛びだしてきた!)なことがあります。

5/27「人物しまね文学館」出版祝賀会です

山陰中央新報で連載された「続 人物しまね文学館」が、2012年5月に本になって出版されたことは書きましたが、その出版記念祝賀会が5月26日に松江の「サンラポーむらくも」で開催されます。知事をはじめ執筆者や関係者多数が出席の予定です。

今朝の山陰中央新報でも(これまで2,3回)大きく宣伝が出ていましたので紹介します。

本は大田では昭和堂書店にあります。すはまくんも何冊もキープしていますので欲しい人はご連絡ください。思わぬメリットがあります。昨日は5冊ほしいという人がありました。上巻、下巻と2冊ありますが、手元に置いておくと辞典としても利用価値大です。もちろん読んでもおもしろいし学ぶことがたくさんあります。

時間は13時30分~14時30分です。すはまくんも執筆者ですし世話役にもなっていますので出席します。

翌日の日曜日には10時30分から、島根演劇ネット総会が八雲村で開かれます。同じ時間に大田で島根県詩人連合理事会と総会が開かれます。総会ラッシュです。(そうかい、たいへんだね)演劇ネットには修平さんに主席してもらいます。

H24 5月 『続・人物しまね文学館』刊行

山陰中央新報の文化面で連載されていた『続・人物しまね文学館』が5月初旬に刊行されます。目下最終校正の段階です。注文のチラシもできましたので紹介します。

 

参考までに「人物しまね文学館」上を紹介します。これは92回に渡って新聞で連載され、81名の島根県ゆかりの文人を取り上げました。出版されるととても好評で版を重ねたそうです。

 上では次のような文人を取り上げています。

上の一覧表をみても多彩な人が島根と関係があり意外な人もたくさんいます。

「続・人物しまね文学館」(下)は58人です。島根県詩人連合では販売に協力するためにこの本を000冊予約購入します。希望があれば送料等は発送者負担でお送りします。大田市では昭和堂書店で予約受付中です。5月1日になったら店頭に並びます。

ブログ StageBox ・ 詩の散歩道

2011/10/26 このブログのどの項目がどれくらい読まれているか、週毎に集計されグラフになり、1か月毎の集計結果も表示されます。それは管理人にしか分かりませんが、最近おもしろいことに気がつきました。ある日ふと見ると大昔に書いた項目に一日で300以上も来訪者があったのです。なんで?なんで?なんでだろう?飛行機でどうぞ。

  有名人のブログなら多くの人が毎日の更新を待って読むのでしょうが、このブログはファンがいるわけでもありませんし、気が向いた時に書くだけです。劇研「空」のことが中心ですが、地域の芸術文化の情報も何かの役に立てばと考えてたまに書いています。特別おもしろいわけでもありませぬ。

ぼくが詩にも関係しているので管理人、修平さんに頼んで、「詩の散歩道」を別にたててもらいました。これは詩の評論や県内中心に詩集の紹介などをしていますが、詩の関係者は少数ですし、これまた読んでおもしろいわけでもありませぬ。何かの役に立てばいいと思って時々書き込んでいます。

集計によると毎日の来訪回数は普通30~100の間です。ところがたまにグラフが300回以上に飛び抜けることがあります。最近では高校演劇広島県大会の観劇記がそうでした。これは3ヶ月たった今でもコンスタントにヒットしています。高校演劇島根県大会や三刀屋高校全国大会へも一時グラフが伸び、その後もコンスタントにvisitorsがあります。びっくりしたのはずいぶん前に書いたの亀尾佳宏先生の劇「三月記」の劇評が急にヒットしたことです。県内のvisitorsではなく全国のvisitorsが検索して読むのでしょう。

 (さて、どこの庭園でしょう。分かるわけがない!でもパチリと正解した人は、スゴーイ!と大声で叫んでください。「お」で始まります)

最近ではこれも大昔に書いたのですが、「松本一直氏講演『吉永藩はこの地域の何を残したか』」が一日で200以上ヒットしました。理由は分かりませんが、日本のどこかで大田市河合吉永藩の講演があったか、または藩主の加藤氏について研究会でもあったのかも知れません。先週では「人物しまね文学館 佐藤洋二郎さん」がダントツ一日300以上でした。全国レベルの人の場合こういことはあるんですね。「安永稔和氏を迎えて-しまね文芸フェスタ2005-」も昔の記事ですが顔を出しました。

目立たない項目が顔を出して驚いたのは「『演劇と朗読を学ぶ会』・志々公民館で」の記事です。飯南町の志々公民館で講演したときの記事ですが、なぜこんなものが浮上したのか不思議でした。もしかしたら「演劇と朗読」で検索した人がたまたまここを開いたのかも知れません。久しぶりに「吉川経家と石見福光不言城の音楽劇のこと」が出てきたのでこれも意外でした。

項目ではなく、「StageBox」や「詩の散歩道」で訪ねて来る人はコンスタントにあります。どんな人が読んでいるのか考えてみると「検索」が一番多いのではないかと思います。ぼく自身定期的に読んでいるブログはありません。しかし調べたいときには大いに利用して助かります。そういう人が多いのでしょうね。ぼくの周辺でこのブログを読んでいる人は修平さんが第1、空のメンバーが数人たまに読む、子どもやカナイやシンセキで読む人なし。

というわけでこのブログの大昔の項目でも思わぬ時に役立っていることがわかり、少しは存在意義を感じた次第です。

大田市文化協会『きれんげ』出版

大田市文化協会は『きれんげ』を年3回発行しています。各号は8ページの会報ですが大田市の文化や歴史、文化グループ、人物、俳句、短歌、川柳、詩などを取り上げて格調のある冊子をつくり高い評価を得てきました。1号から50号はすでに合本になって発行され、今回2011年9月、51号~100号の合本が発行されました。大田の文化や歴史を知る上で欠かせない資料です。簡単に紹介しましょう。

 『きれんげ』は7名の編集委員で作成しています。高いレベルの会報をつくることを目指してきました。ある県内の文化人は、「県内で最もレベルが高い会報の一つだと思う。優れた書き手が多いのも特徴だ。」と言っていました。それぞれ立派な人たちで編集委員の見識が紙面に反映されています。

 連載ものが数本あるのも特徴です。大田に来た文化人が大田について書き残した文献を丹念に調べて連載された西村 恿先生の「大田市文学散歩」は貴重な記述です。芥川龍之介、大町桂月、斎藤茂吉、徳富蘆花、岩谷小波、松本清張、岡本かの子、森鴎外と中島範造、中村健吉、駒田信二、杉本苑子、小野十三郎、山口誓子などなど35人にもなります。「本にしてください」と数回言ったことがありますが、残念ながら昨年他界されました。派手なことが嫌いな地味で実直、責任感の強い先生でした。惜しい人を亡くしました。尊敬していた先生でした。

 石見銀山資料館館長、仲野義文さんの「石見銀山あれこれ」は38回つづきましたが、貴重な資料や文献を駆使して書かれたものです。今は藤原雄高さんが引き継いで執筆されています。

「清流」というコラムは菅原龍憲さんが担当され鋭い筆先には定評があります。400字くらいの短文ですが、全国紙にも負けないレベルです。菅原さんはこの欄の文章をまとめて『世をいとうしるし』という本にして京都の本願寺出版社から発行しておられます。300円という手頃な値段です。

 

大田市で活躍している文化人などを取り上げて1ページで紹介している欄も貴重です。

最近では詩を載せる雑誌や会報などは見あたりませんが、編集長の大場 格先生の見識で洲浜昌三さんの詩を73号から連載しています。意外と好評で、感動しました等という声を聞くことがあります。(・・・・・)

 この本は限定出版です。早い者勝ちです。2000円で販売しています。文化協会でも取り扱っていますが、すはまくんも数部抱えて苦闘しています。欲しい人には定価でお送りします。資料として今後生きてくるでしょう。

北浦正信さん地域開発社会賞受賞

2011年10月8日の山陰中央新報で今年の山陰中央新報社地域社会賞受賞者5名を発表しています。20日には受賞式が行われました。ちょっと紹介させていただきます。実物を読みたい人は10月20号を買ってください。

 それぞれ長い間地域社会へ貢献してこられた尊敬すべき人たちです。その中に45回社会賞を受賞した北浦正信くんが載っています。むかし益田に県立益田工業高校という高校がありました。その時の機械科3期生3年3組の卒業生の一人が北浦くん。なんんと担任がすはましょうぞうくんでした。しょうしんくんおめでとう!

卒業して東京の大手企業に勤めていましたが、好きな写真はずーっと続けていました。会社をやめて写真専門家に。帰郷して写真館を開業するとき、名前をどうするかとくんちゃんと一緒に我が家へ来て相談しながらおおいに語りのみました。写真の腕も立派ですが、今回の受賞は30年近く益田市で少年剣道クラブを指導し、子供たちとヴォランティア活動をしてきたことに対して贈られたものです。

自分の仕事をし家族を養うだけでも立派なことです。その上に30年も子供たちのために尽してきたのですから頭があがりません。都会にでている同級生でこれを読む人がいたらお祝いの手紙でも書いてください。あのクラスは元気が良くとてもまとまった活発なクラスでした。学期毎に文集をだしたり、クラス内駅伝大会やスポーツ大会を開いたり・・・県工の校舎はいまどうなってるんだろう。

2003年には浜田尚くんが48回スポーツ賞を受賞しました。邇摩高校時代も水泳で大活躍しましたが、社会人になってもほぼ毎日水泳の指導をしてきました。先日も会いましたが、毎日指導しているそうです。すごいことです。たかしくんを邇摩高ではたんにんしました。これぞまさに「出藍の誉れ」ですね。

「好きなことをして、人の役に立てて、食えれば最高の人生」といいます。「食える」のは無理にしても、「人の役に立つ」ことは最高の人生です。

斐川の農民詩人 高田正七

山陰中央新報が2010年10月1日から毎週金曜日に文化欄で続「人物しまね文学館」を連載しています。前期は終わり本になって出版されています。「続」で、詩人高田正七さんを担当することになり、2ヶ月近くかけて高田さんのあらゆる著作を捜し、読んで年表を作成、151号まで出ている個人詩誌『二十五年』(約半数は所有、石見詩人の高田さんからも借用、欠番は県立図書館で閲覧)を読んで重要なことは書き抜いてノートを作り、やっと5月末に脱稿しました。

(『二十五年』の第一号、貴重な詩誌です。近所の小学校の美術の先生だった周藤吉宏氏がガリ版で切って印刷。小さな字でもとてもきれいに書いてあります。しかし昭和40年代の印刷物は号によってはめくると紙が砕けそうになります。それだけに貴重です)

斐川のスダさんと一緒に故高田正七さんの家を訪ね長女の早苗さんから貴重な話しも聞くことができました。斐川の図書館に問い合わせても高田さんの詩集や寄贈書はないとのこと。島根の有名な詩人であり、詩集や残された蔵書は貴重な文化財産ですが、高田さんを詩以外の分野では知る人はほとんどなく、蔵書も行方不明です。とても残念なことです。そういうこともあり、ここで紹介します。ほとんどの人には関係ない記事ですが、正七さんのことを調べたいという人もきっとあるでしょう。そういう人の参考になれば幸いです。新聞には字数の制限があり細かいことはほとんど書けませんので、そのうち「島根年刊詩集」か「石見詩人」にでも書いて記録として残しておきたいと思います。次の文章は新聞掲載原稿前のもので、少し詳しく書いた部分も残っています。

 

高田正七  夢追い続けた農民詩人 洲 浜 昌 三
高田正七は築地松に囲まれた斐川の農家に生まれ、生涯、詩に夢を追い求め続けた農民詩人である。
50歳までは島根の詩活動にはほとんど関わらず、中央の高名な詩人が主宰する詩誌へ投稿して詩を書く「一匹狼」であった。
晩年には県内の活動も重視し詩人連合の理事も務めた。修行僧のように一日一作を課して詩を書き、個人詩誌『二十五年』を毎月発行、詩集を3冊、『島根年刊詩集』を7集まで発行したり、高田敏子、郷原宏、荒川洋治など有名詩人を呼んで「島根の詩祭」を敢行するなど詩の普及と向上にも意志的に貢献した。同時に、その裏では多大な出費や借財という犠牲や詩人、詩人団体との軋轢などもあり心労も大きかった。

長身で蓬髪、剣道5段。肝っ玉が太く行動力に富む豪毅な性格であったが、同時に人一倍繊細で気弱な一面も同居していた。詩人で評論家の松永伍一は、高田の生き様を「詩の鬼」という言葉を使い、「一念貫徹の姿勢は今の若い人には時代錯誤だと受けとられがちだが、日本を見まわしてもこういう愚直な詩人の姿は見出せない」と評した。

1913年(大正2)高田正七は現在の斐川町美南で父・忠四郎、母センの長男として生まれた。父は幼い正七を背負って村々の神社で朝まで舞われる秋祭りの出雲神舞にいつも連れて行った。そういう刺激が音楽や絵、芸能を好み立川文庫をあさる少年に育てた、と高田は書いている。読書好きで早熟な文学少年であった。当時人気があった『幼年倶楽部』や『少年倶楽部』『日本少年』などで佐藤紅禄や吉川英治など著名な作家の小説や、大人向けの小説なども読みふけった。小学校4年のとき野口雨情に刺激されて詩を書き先生からほめられた。鴎外や漱石、蘆花、啄木、芥川、トルストイ等の文学作品も意欲的に読んだ。軍国主義の風潮が強まっていく中で、高田は学校で疎外感を味わっていたが、詩への期待や希望は失わなかった。

大正の終わり頃から昭和の初期にかけて白秋、八十、雨情などを中心に新民謡という創作民謡が盛んだった。高田もこの影響を受けて新民謡を書いた。 イタリアのヴァイオリン名器・ストラデバリゥスを購入するほど音楽好きだった高田は昭和6年、兵庫の同人誌『詩と音楽』に加入したり、大関五郎の『新日本民謡』や西条八十の『蝋人形』、前田鐵之助の『詩洋』へ高田秀子などのペンネームで詩を投稿した。島根では宮田隆、吉儀幸吉、甲山まさる、岡より子も詩の投稿者であった。
(正七さんは音楽や劇などがとても好きで、長女の早苗さんは度々松江の公会堂へ連れて行ってもらったという。カルメンなどのオペラは今でも覚えているという。また近くの斐川西小学校で劇や音楽会などを開き、連れて行ってもらったという。高校の時にはヴァイオリンも習っていて島根大学の音楽の先生に指導してもらったら、「あなたはあまり上手じゃないけどこのヴィオリンはとても立派なものですね」と言われたという。中にはイタリア語でちゃんとストラデヴァリウスと書いてある)

旧制中学を経て農学校を18歳で卒業すると「文学で食ってやろう」と考え大阪へ飛び出した。大阪には叔母がいた「人は『わがまま者』と言ったが、その頃誰にも依存する精神を持たなかった。」(『二十五年』7号)。「勝先生に歌謡指導を受けていておほめにあずかり自信満々、中央に希望をつないでいた」(99号)。
1936年に大阪の女学校を卒業したばかりの意中の女性と結婚した。「泥ひとつ付けたことのない人がその後泥まみれになって苦労した」と母のことを長女の早苗さんは語っている。秋山清を知って現実に立脚した農民詩を書き始めたのもこの頃であった。

日本が戦争に突入すると、島根にも翼賛詩人会が結成され、松江放送局では詩の朗読を流し高田も参加した。朗読に参加した石村勝郎は次のように書き残している。「ひげを立てた和服姿の詩人が来た。高田という人で婦人名で詩を書いている奇人だった。」高田は戦争の詩を朗読する気にならず、無関係な百姓の詩を朗読した。
昭和18年9月、高田にも招集令状が来た。勝承夫に遺言状に近い手紙を送り、満州の興安北省のハイラルへ行った。砂漠に近い極寒の地であった。父と妻あてに詩を書いたハガキを出した。22年5月に復員してそのハガキを手に取ると、ほとんどの字が墨汁で消されていた。防諜暗号だと思われたのであった。
敗戦を迎えて、「精神は颱風の目のように悶えつづけ」「残ったのは不信と孤独と哲学だった」(19号)いっきに空白を埋めるかのように詩の本を探して読んだ。翌年に詩誌『文学集団』が発行された。選者者は憧れの村野四郎。渇を求めるように詩を書いて送り、毎回入選した。 ペンネームは高田無。精神が無だったからつけた。『若草』や『詩洋』、秋山清の『コスモス』にも詩を書いた。昭和27年には村野四郎の推薦で北川冬彦の『時間』の同人になった。東京の村野や北川の家を訪問したのもこの頃である。米や干し柿を持参したのも百姓として精一杯の礼節だったにちがいない。

満51歳の誕生日を期して個人詩発行を決意した。余命を25年と想定し『二十五年』と命名。美術教師・周藤吉宏がガリ版で切りわら半紙で約百部印刷した。月刊を厳守、151号まで発行した。創刊号には秋山と勝の詩を載せた。高田は「拡暁」という詩を載せた。

「濃い霧が地上からうすらぐ/そよとも動かない水面/かわいい苗が葉の先を出し//苗代で/あえいでひしめきあったくつろぎを/一本立ちした生命に/小さな自信をみなぎらせている//苗を目の前でかぞえ/寝ころびを直してやる/水を引いて飲ましてやると/もう新緑でうずまった森の中で/かっこうの声を聞く//晴切った高い天/すっかり生きかえった今日の朝/冷え切った腹の底へ/竹藪の筍の味噌汁を流しこもう」

(家の前から甘南備山方面を望む。左側の建物がもと牛小屋で、書斎に改造した4畳半くだいの部屋(窓があるところ)。今は農機具置き場になっている。当時は家の回りは築地松で囲まれていた。また鉄道線路との間に建物はなかったという)

牛小屋を改造し、図書館のように本が積まれた板敷きの部屋で毎晩詩を書いた。
豪華な詩集『風土記』上、中、下巻を立て続けに出版した。表紙は民芸紙に手織り木綿張り、中身は手すき和紙、A5変形縦長版という類を見ない凝った詩集であった。

高田の詩は叙情や主観、観念を排除し言葉を即物的に置いていく独特のスタイルである。作者の主張や思想は排されているから詩を読む面白さには欠けるが、冷静に読めば言葉と言葉のすき間からにじみ出てくる風土の滋味や気配が立ち上がってくる。

黒田三郎は、「決して安易に自分の感情を表に出そうとしない」「謙虚に風土自身、生活自身をして語らせている」と新聞で評した。 山本太郎は、「見え隠れする地霊の気配、アニミズム~情念が観念語をまじえずに思惟を宿すというデリケートな詩精神が独立した個性にまで育とうとしている」と序に書いた。

上巻は農民文学賞次点、中巻も候補になったが、力を持ちながら詩の世界で光りを浴びることなく、1977年(昭52)11月23日、斐川の病院で他界した。64歳だった。予定した75歳と夢はまだ先にあったが、幼い時に抱いた夢を追い、独立した個性を我がままに貫き通した生涯だった。

10月に病床を見舞った帆村荘児は、高田が「念願の詩誌発行」について目を輝かして語ったという。同年配の県内の詩人たちと「水の詩人の会」を準備中であった。

※水の詩人の会についてはほとんど知られていない。高田正七さんは、帆村、宍道、杉谷、甲山、田原氏などと新しい同人誌を作るために会合を開いていた。それは新しい夢だった。

次の新聞は当時きり抜いて保存しておいたものです。膨大な書物があったのですが、それを奥様が寄贈されたときの報道です。それが今はどこにも見あたらないとはどういうことなのでしょう。どこからかでてくることを祈りましょう。

次ぎに新聞へ載ったものを紹介しておきます。読みたい人は山陰中央新報の2011、6,10の文化欄でどうぞ。ここでは字は小さくて読めません。

続「人物しまね文学館」は11月ころまでつづきます。ぼくが担当する人は次の通りです。終わるまでにあと30人くらい島根に関わる文人が登場します。読みたい人はどうぞ山陰中央新報を買ってよんでください。(引用したので気が引けてPR?)

邑南町田所出身の小説家・小笠原白也。近日中に掲載されるはずです。益田の詩人田原敏郎(原 敏)さん、邑智郡川本の生まれで3歳の時に長崎へお母さんと移住、詩人として活躍され44回H氏賞を受賞された高塚かず子さん。一度お会いしました。思わぬことをたくさん聞くことができました。津和野に在住の詩人中村満子さん。たくさんのすばらしい詩集があります。昨年土井晩翠賞を「十三番目の男」で受賞した浜田の詩人閤田真太郎さん。

高塚かず子さんや中村満子さんについてはまだまだ知らなければいけないことがたくさんあります。参考になることがあれば教えてください。

 

5/22(日) 島根県詩人連合総会です

平成23年度の理事会と39回総会が大田市パストラルで開催されます。理事会は10時30分から、総会は13時から14時30分です。

その後は「島根年刊詩集」39集の合評会を開きます。39集の詩を朗読して、お互いに感想などを語り合います。自分の詩がどのように受け止められているか知ることができ勉強になります。昨年は広島から岩さんがひょっこり参加してみんなを驚かせました。合評会は誰でも参加できます。

議題は行事報告、決算報告、今年度の行事予定、予算などです。今回は特別な議題として、続「島根の風物詩」の発行計画について話し合います。

島根県詩人連合は「山陰詩人」「石見詩人」の会員と個人会員で成り立っています。年間会費は一人2千円です。若い人で詩を書く人がほとんどいませんので、これが大きな課題です。詩を書きたい人はいませんかね。