3/15 公演までの練習計画表と・『琴の鳴る浜』稽古報告です

 修正した3場の完成版台本12ページ分をメールで8人に送り、4人へ郵送し、8人分印刷して持参。発表までの練習計画表と出欠予定表を作り記入してもらいました。予定表を紹介しますが、変更や追加などもある場合もありますので心得ておいてください。不明な時は必ず問い合わせてください。

(なんで急に海が出るんやね。馬路の海です。きれいでしょう。波に圧倒されました。山育ちの小生には荒れた海はこわーい。13日に温泉津公民館で福波小学校が「経家最後の手紙」を上演し、大きな感動を観客に残しました。多くの人がナミダが出て仕方がなかったと言っておられました。脚本を担当した者としては保護者の皆々や先生、何よりも26人の児童たちに感謝のナミダです。来ていた修平さんと別れ、温泉津からの帰りに馬路の海へ寄り、撮影したナミです。ミナミナさま素敵なナミでしょう?)

 15日は2月11日からの雪や大嵐の延長で、奥部は相当雪が積もっていました。全員集合状態ではありませんでしたが、大きくなった正子さんと春さんが予定時間内にきてくれましたので3場の読み合わせをまずやりました。声が小さいのと気持ちが声に入らない所や上滑りなしゃべり方の所もあり、遠く離れた所に立ち、そこまで声が届くように声をだす訓練などを何度も繰り返してやりました。種さんや豊さんや旅の僧は代役でやりました。

 正子と春はセリフは少ないのですが、ここは緊迫した場面ですから、下手な表現や表情や間やしゃべり方があったら目立ちます。3場に出る人たち全員でこの二人の高校生をバックアップしてやってください。3場は全員が集まれる日を確認して特別に稽古をする必要があります。

 そのあとは今まであまりできなかった2場で秋さんが「われやちゃまげぇに歌うのぅ。」の場面をストップをかけながら5回やりました。

( 馬路町つくりセンターに貼ってあったポスターです。馬路では郵便局と農協の入口にも貼ってありました。温泉津や仁摩や大国や宅野では車で走っている限りどこにも見えません。その点では大田の町を車で走っていても一枚も目に飛び込んできません。150枚も印刷したそうですからどこかにあるのでしょうが、恐らくみんな室内に貼ってあるんでしょうね。町の中でどこか3,4ヶ所車からも見える所へ貼りたいものですが、いいところはありませんかね。昔と違って、町中にポスターを貼るいい場所が本当に少なくなりましたね。昔は電柱や壁にべたべた!今は禁止!逮捕!逮捕されないいい場所があったら教えてください。)

 16日はステージを使って練習します。馬路の小学生が9人、それに琴ヶ浜盆踊り保存会の皆さんもこられますので、その場面と前後のつなぎを中心に稽古をします。

 子供とお琴、善作の場面もステージではまだやっていませんから距離や位置感覚をつかむために練習したいと考えています。

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

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