12/13(月)台本討議や読み合わなど

 予定通り青少年ホームで行いました。36ページまで手直しをし10人分印刷し持参しました。カズさん、中さん、レイコさん、ショーゴくん、エスエスさん、それに初参加の山野熊でした。熊八さんに自己紹介していただきました。ぼくは数年前、一中の文化祭で「仙の山に立つ」の群読をやったときに知りました。あしぶえの劇にも参加されたこともあり、しまね映画塾にも参加しておられます。人を教える立場なので、「伝えることや表現すること」を学びたいと自己紹介の中で言われました。ヤッサンは寄りで欠席との連絡がありました。

 二場の冒頭の種さんの語りの部分は正吉と種との対話にしましたので、その場の読み合わせをし討議しました。正吉と善作は言うことが似ているという指摘が当初から山さんや修平さんからありましたので、正吉を少し違う人物に設定し直しました。正吉のセリフを善作が言うことになります。善作と秋さんとの「青瓢箪・芋虫」対決になります。

 地頭の家来は熊八と分業します。熊八には地頭や元五郎が出せない迫力や空威張りを出してもらうつもりで書き換えました。この場面の読み合わせもしましたが、ヤマオの一郎熊八は声が太く、声に力や声量もありまたやや一本調子ですが十分行けそうです。あの場面が生きてきそうです。

 ラストの尼僧の場面も大いに議論しました。時がたっていることをどうして表すかという問題や子どもたちの扱いについてです。

 前回は時間もなかったし、子どもたちを変えようもなかったので、(当初中学生も参加予定だったのでここに出てもらうつもりでしたが、キャンセルが入りました。本当は大きな子供がいれば文句はない)時の経過をしつこく追求しませんでしたが、今回はまず衣装や髪など短時間で変化出来るように創意工夫をしたいと思います。

 上の写真は30年以上も前のなつかしい写真です。髪の扱いや衣装など参考になるところが大いにあります。当時の彼ら彼女らはよく考えて衣装や髪を処理しているのに改めて感心しました。頭の帽子や布。粗末で質素な衣装。参考になると思い紹介しました。

 本番までの練習日程も話し合いました。都合が悪い日を書いて持参することになっています。

 12/16は結団式です。19時から市民会館です。最初の意思統一の場ですから担当者としては合唱も含め全員参加を求めたいところですが、仕事の都合もあるでしょうしコンシャスネスの差もありますので無理は言えません。(おわったあとげきけんそらはどうしようかだれかいいばしょをみつけてくれないかな)

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

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