12/3 勝部義夫氏文化賞受賞祝賀会

 大田市文化協会理事25年、副会長12年、会長を6年間務められた勝部義夫さんの山陰中央新報社地域開発賞 第49回文化賞受賞を祝う会が仁万屋で開かれました。いろいろな方が祝辞を述べられましたが、大田や島根の映画や芸術文化に大きな貢献をされた人だということを改めて認識しました。

 勝部さんは大田高校から日本大学芸術学部映画学科に入学、在学中から東宝映画の専属となり、ウルトラマンシリーズ、加山雄三の若大将シリーズ、森繁久弥の社長シリーズなど327本の映画に出演されています。

 次の文章は祝賀会で配られた勝部さんの紹介です。参考になりますので載せます。大田市文化協会が作られたものです。

 ぼくもお祝いのスピーチをしたのですが、その中で、「今までのことをぜひ文章に書き残してください」といいました。長谷川一夫、黒澤明、森繁久弥、加山雄三、その他たくさんの俳優とのエピソードはきっと面白いし芸術文化論的な視点をちょっと加えれば時代の記録としても価値が十分あります。しまね映画塾のこと、大田名画シアターのことなど貴重なこともがたくさんあります。エッセイとして何かに連載していけば5,6年後には一冊の本になるのですが、大田にはそんな雑誌がまったくありませぬ。2ヶ月に1回でも50ページくらいの雑誌を発行したいものです。10年続ければその中から本が何冊か生まれてくるでしょう。大田は何故か昔から同人雑誌不在の町です。

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

「12/3 勝部義夫氏文化賞受賞祝賀会」への2件のフィードバック

  1. 個人的に勝部義夫さんのファンでした。出演作品として東宝の特撮シリーズが取り上げられることが多かったですが、私にとって印象に残っているのは、やはり若大将シリーズでの加山雄三さんの同級生、同僚役。特に「エレキの若大将」で、一緒にトレーニングしている姿、そしてセリフは頭に焼きついています。今、どうされているのか気になってネットサーフィンしていたら故郷で立派に活躍されているのを知り、嬉しくなってしまいました。私は新潟に住んでいるので、なかなか島根県まで足を運ぶことはできそうにありませんが、今後も随時お元気そうな姿を拝見できれば、心の励みとなることは間違いありません。これからもぜひ知らせてほしいと思います。本当にありがとうございました。

  2. びっくりすると同時に感銘を受けました。勝部義夫さんのファンだったとは!そしてこの地味なブログを見つけて書き込みをしてくださるとは!広い日本の中には荒川さんのような人もおられるのですね。

    地方にあっても文化や芸術面で「いいもの」は知って欲しいと思い、このブログで紹介していますが、このような出会いがあるとは、書いてきた甲斐があるというものです。今までに何回か勝部さんと舞台を創りました。島根映画塾や大田市の名画シアターなどでも中心的な働きをしてこられました。映画塾などについてはそのうちここで取り上げてみたいと思います。勝部さんは映画人であり舞台人であり、その魂は現在も消えることはありません。

    勝部さんは多分このブログを読まれたことはないと思います。ぼくも特に「~を書きましたよ」などと言ったこともありません。でも今回は荒川さんのことを話しておきます。きっと喜ばれることでしょう。

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