石東海岸は神話伝説の宝庫 『琴の鳴る浜』上演資料より

 3月14日(日)大田市民会館で上演する創作音楽劇『琴の鳴る浜』では総計23曲近い音楽演奏があります。そのうち約10曲はコーラスや独唱です。子どもたちが大田市少年少女合唱団と歌う歌の一つは馬路や五十猛に伝わる神話伝説に基づいて歌詞をつくり、長坂先生が曲をつくられました。その歌の背景と歌詞を紹介します。


       貴重な神話が残る大田・仁万海岸

 出雲は神話の宝庫として全国公認ですが、『古事記』『日本書紀』
『出雲風土記』に登場する神々の伝承が石東海岸にも残っています。

 静間の静之窟は大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が国土経営したときの仮の住まいだったと伝えられ、万葉集の歌人・生石村主真人(おいしのすくりまひと)はそのことを和歌にして残しています。

 伝承によれば「馬路」の名前は、大国主命が海上から馬路の浜を眺め、「可美地」(うましところ)と言ったことからついたという。

 須佐之男命(すさのおのみこと)と三人の子・五十猛命(いたけるのみこと)と妹の大屋津(おおやつ)姫命、末妹の柧津(つまず)姫命は大陸から海を渡り五十猛の神島へ上陸し、三人の命は「神別れ坂」で別れ、五十猛命は今の五十猛え残り、大家津姫は大屋へ(いま大屋姫神社がある)、柧津姫は今の宅野で「栲(たく)の木」(コウゾの古名で樹皮から繊維をとり織物や網、縄を作った)を見つけ布を織った。馬路にある神畑は昔は「神織(かんはた)」と書いたという。五十猛町大浦には素戔鳴尊を祭った韓国新羅神社もある。

 大陸に近い石東海岸には大陸からの文明の受け入れや人の移住があったのでしょう。今は太平洋側が日本の表玄関ですが、古代では日本海側が表でした。

 劇中で子供たちが歌う歌はこの伝承に基づいて作詞したものです。

うましところ
         作詞・洲浜昌三 作曲・長坂行博
1 むかしむかしの そのむかし
  いずものきずき おおやしろ  
  おおくにぬしの みことさま   
  うみからはまを はるかにながめ 
  うましところと のりたもう   
  うましうるわし まじのさと   
  うましうるわし まじのはま

2 むかしむかしの そのむかし
いわみのくには にまのさと
つまずのひめの みことさま
  やまでみつけた たくのきを 
ぬのにおらんと はたおりぬ
うましうるわし たくのさと
  うましうるわし かみのはた

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

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