劇研「空」石見銀山天領太鼓に寸劇と語りで出演

太鼓中の劇
2008年5月18日大田市民会館で石見銀山世界遺産登録記念「和太鼓で奏でる石見銀山歴史物語」が上演され、劇研「空」も寸劇と語りで協力出演しました。「あれが天空の石銀の町」


太鼓2
観客は約900人で大成功と言えるでしょう。前売り券は千枚近く出ていましたが、その9割が来られるということは大成功です。普通は義理で買って来ない人が多いのです。
 今回は市民会館も主催になっていてスタッフの献身的な支援があり、照明、音響、装置など意欲的な取り組みが成功の一因となりました。
宝の山
市民会館の舞台を何度も使用してゲネやリハができるなんて普通はできません。前日と本番だけ借りるというのが金銭的に精一杯です。

劇研空は語りと寸劇で出演しました。劇は時間が限られていて台本を書くも大変でしたが、何度もカットしなければいけないのも大変でした。太鼓演奏と劇は普通の取り合わせはある意味で大冒険です。果たしてどうなるか心配もありましたが、今までのところとても良かったという声がたくさんあります。

石見銀山のことでで重要な仕事をしておられるある人は次のようにいわれました。

「石見銀山といえば学術的なものや観光的なものがほとんどです。文化的で個性的で楽しいものがほとんどない中で、あの劇は短かったけど、ちょうど狂言をみるような楽しさがありました。江戸から大森へきた大道商人たちが主観的で人間的なことを喋るのがとても面白かった。ぼくだけではなくそう言っていた人がたくさんいましたよ。」

石見銀山で長いあいだ責任のある仕事をして来た人の言葉だけにとてもありがたく拝聴しました。

「今度8月14日に瓶陵会総会で上演する劇は今回の部分をもっと伸ばして楽しく面白くするつもりです」と言っておきました。

石見銀山天領太鼓のことはこのブログで以前に何度も書いていますので、ここではちょっと違った角度から書いてみましょう。次の報道は山陰中央新報からです。写真入りで取り上げてもらったことはありがたいことです。山陰中央が取り上げてくれなかったら、こんな公演が大田であったことは県内には知られないでしょう。それだけに記者の眼識や言葉の重要さを感じます。
太鼓新聞記事
字が読めるでしょうか。記事のタイトルも的確ですし写真もとても良い雰囲気をとらえています。記事も短い中にうまくまとめられています。

ところがこれを読む限りこの公演は「太鼓だけの上演」だっ
たと誰も思うことでしょう。語りも劇も歌も尺八演奏もまったく出てきません。

それをを取り上げてないから不平を言っているのではありません。天領太鼓が主体ですから、それでもいいのです。

しかし、今回の上演の大きな意義がまったく伝わってきません。太鼓だけの演奏は県内にも全国にもたくさんあります。しかし石見銀山の歴史を骨格に語りや劇なども取り入れて一時間20分の舞台を構成したということがとても貴重な挑戦なのです。多分全国にもないはずです。芸術において実験や挑戦はとても貴重です。その挑戦に天領太鼓が挑んだのです。このど田舎の大田で…
太鼓幕開き

社会面で取り上げる時には単なる記事です。5W1Hだけ押さえておけば十分です。下手な評価の観点など不要ですし邪魔でもあります。しかししかしです。

演劇の大先輩である浜田の岩町功先生は劇を上演するとき文化面に劇評を誰かに依頼されます。ぼくは二度頼まれて書いたことがあります。文化面では単なる事実を書いただけでは意味がありません。その上演が持っている歴史的、社会的な意味や価値など批評や創造の観点が不可欠です。それによって上演した人たちは励まされたり反省させられたり更なる課題を見つけ出していくのです。

島根の文化活動で最も欠けているのがこの批評活動です。批評のないところにいい文化や文学や演劇は育ちません。

社会面の記事にそんなことは期待はしていませんが、正確に書くということだけは不可欠です。

今回の石見銀山天領太鼓の上演はとても価値のある挑戦ですしそれが成功した良い例だとおもいます。近藤先生は1時間20分を一つの舞台として演出されました。あっ、という間に終わったという感想が多いのは、その演出が成功した証拠です。太鼓、語り、歌、劇、尺八、詩の朗読…これらの異質な表現手段がバラバラノイならずに融合して一つの世界を作ることに成功したのです。
太鼓2
これは簡単なことではありません。何故それがバラバラにならず融合できたか…書きたいところですが、もう朝の三時前です。6時には四国へ行かなければいけません。

ということでこれからねます。居眠り運転に注意せよ!はい。ありがとうございます

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

「劇研「空」石見銀山天領太鼓に寸劇と語りで出演」への2件のフィードバック

  1. 写真の説明文で「石が根の町」とありますが
    「石銀の町」(いしがねのまち)です。
    仙の山のてっぺんは「石銀」と言われていました。

  2. このときの写真やDVDが欲しくてさがしてみましたが、なかなか分かりませんでした。
    市民会館に問い合わせてみましたら、ゼンノデンキが撮影されたとのこと。
    ゼンノデンキへ電話してみましたがもとのテープは破棄して編集したDVDは天領太鼓の人に渡したそうです。

コメントを残す