浜田市民劇団「酔族漢」公演「DNDで恋をして」を観る

浜田市民劇団「酔族漢」
 18年5月21日、石央文化ホールで酔族漢の創作劇を観ました。4回目の公演です。石見の劇団ですから一度は観たいと思っていたのですが、やっと実現しました。新聞によると団員3人に加え市内の演劇好きが集まり
17名が舞台に立った、とあります。笑いも起こる自由でのびのびとした舞台でした。劇を作る視点から劇を観るのが習性になってしまっているためか、脚本、演出、演技など考えさせられることが多い劇でした。


浜田市民劇団「酔族漢」ラスト
 作者の桧垣友孝さん(52、公務員)は「お客さんに笑ってもらうことが第一。その後でフッと考えてもらえたら」と山陰中央新報で語っておられます。確かに笑いを狙って書かれ、演じられていることが時々覗きます。

 高校演劇でも以前から笑いをとることが主流ですが、ほとんどが失敗しています。同じ世代の高校生だけに通じる笑いで、しかも笑わせようとする意図が丸見えになると、冷めてくるだけです。笑いは「結果的に起こるもの」でないと笑えません。これは鴻上さんも全国大会の審査の席で言っておられました。

 劇が終わって、食堂で加美さんと色々話しました。「どういう劇だったの?」と聞かれ、自信を持って答えられなかったのはぼくの理解力の貧しさのせいです。同時に考えました。人の印象に残るためには脚本に太い骨がいるのではないか。「劇は対立である」といわれるように対立や葛藤の太い骨がないと随筆になり、ストリーがだらだらと流れていくと場面場面の印象しか残らないのではないか。

 ぎこちなさはなく皆さんが自然に演じておられました。演じることを楽しんでおられたのはとてもいいことだと思いました。劇全体を通してもっとメリハリがあると引き締まったのではないかとおもいました。お客さんも
まずまずの入りで、人ごとながらほっとしました。

 演出の岩崎理恵さんは、浜田高校で大活躍した人です。昭和56年の石見地区大会は津和野高校で行われましたが(多分)浜田は長谷川理恵さんの脚色、演出、振り付け、作曲で「オズの魔法使い」を上演し、自らも主演。その年の全国大会へ出場しました。ミュージカルが全国大会で上演されたのは多分初めてのことだったと思います。その点でも注目を集め劇団四季の人たちも理恵さんに注目したそうです。

 ぼくは津和野大会で講師で参加しましたのでよく覚えています。高校卒業してどうされたのかな、と思っていましたが、顧問だった大島宏美先生から浜田へ帰っている、と聞き、その後、劇をやっておられるのを知りました。高校演劇で活躍した人たちが郷土の演劇文化に貢献されることはとても嬉しいことです。

 酔族漢の次の公演を楽しみにしています。お互いに刺激しあい学び合いたいものです。

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

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