51回全国高校演劇大会観劇記

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青森中央高校が演劇最優秀」「悔いない演技 実結ぶ」部員や顧問の喜びを伝える東奥日報。舞台写真は撮影できないので新聞の写真を紹介します。青森中央高校は青森市の中央にある創立101年を迎える伝統校。平成11年には、山形大会へ「生徒総会」で出場しています。この時は井上ひさしさんが講師でぼくも山形まで観に行きました。「生徒総会」は昨年出雲高校が浜田の県大会で上演しています。八戸市公会堂で全国大会が行われるのは2回目です。昭和51年に22回大会が行われています。


 2度も全国大会が行われたということは八戸市にしっかりした高校演劇の基盤が今もあるということでしょう。八戸と言えば高校演劇の名作「かげの砦」を書かれた小寺先生がすぐに浮かびます。当時八戸北高校は連続して全国大会へ出ています。そのような伝統が今も受け継がれているのでしょう。小寺先生は顧問研修会にも顔を出されました。タクシーに乗った時「演劇の大会で島根から来た」というと、運転手さんが、「八戸には小寺という先生が・・・」と言いかけましたので、「ああ知っていますよ。八戸と言えば僕らにはコデラリュウショウ先生です」と答えました。たまたまホテルで手にした新聞に、地域の歴史を素材にした小説を書いておられました。

 さて、11校の劇の最後に上演されたのが「修学旅行」(前畑聖悟作)です。県外から来た顧問の先生の中には、「地元枠で代表になったのだからどうせ大したことはないだろうと思って、せっかく青森へ来たのだから市内見物へ行った」という人もいました。劇を観るまでは同じような気持ちの人達もけっこう多かったのではないかと思います。正直に言えばぼく自身も似たような気持でした。何百校から選ばれる地区の代表と2,30校から選ばれる県の代表では違いがあるのが普通です。

 それに脚本を読んだ時、うまく書かれているとは思いましたが特別に優れた作品とは思えませんでした。ユーモアや笑いはたくさん用意されているのですが、葛藤を背景にした劇特有の立体的な構造はなく、時間と共に進行していく生徒達の会話が中心になった平面移行的な劇です。好きな男性の人気投票、まくら投げ、教師の見回り、規則を守らない生徒への罰、教師と生徒の罪のないだましあい、時々交わされる戦争の話し・・・・わくわくするような事件の予感があるわけではなく、修学旅行でありがちなエピソードが面白おかしく展開されるのです。

 下手に演じればありふれた普通の劇になる。個性のある人間関係から生まれる笑いや、目立たないように作者があちこちに置いている布石や仕掛けをどのように舞台で生かし演じることができるか ー それが課題だ、と思いました。

 緞帳が上がると、舞台には平台で作られた大きな部屋に布団が5人分敷いてある。それ以外には何もないシンプルな舞台。部屋の班長であるヒカルとテニス部のクスミ君が部屋の中央で面と向かいあってテンポのいい会話をしている。クスミ君は好きな女性がこの部屋にいるので、ヒカルに仲介してほしいと頼んでいるらしい。同じテニス部のワダカズ君が助太刀にきていて、離れたところから「そうなんだよ俺からも頼むよ」などと言うと「ワダ君は黙っててくれない!」とピシャリとヒカルに遮られる。ワダカズ君が何か言おうとする度にピシッとヒカルに封じられる。冒頭から個性が鮮明で人間関係がよく分かり、その絡み合いから生まれるユーモアが観客を惹き付けて離さない。会話もストレートで生き生きとしている。
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 5人いる同室の女性の個性の違いがよく出ている。生徒会長のノミヤさんの堂々とした貫禄は最後まで劇をリードした。恐がり屋でマン研のチアキ、新体操部のシャトミ、ソフト部で大会直前のために部屋でもバットを振り続けるカキザキ。それぞれの部の弱点や特徴が生かされそれをダシにして面白い会話や行動が次々と生まれる。

 班長として班を楽しく盛り上げられないことに責任を感じているヒカルは、せっかく修学旅行へ来たのだから、まくら投げの楽しさくらいは経験したいと思う。消灯時間が過ぎてゲームをして遊ぶうちに、好きな男子を無記名で紙に書こうと言うことになる。ヒカルが一枚一枚読み上げる。5枚とも「カイト君」だった!カイト君をこっそり部屋連れてきてもらう。そこへアキラ先生が見回りに来る!ヒカルの布団に隠れるカイト君!いろいろ騒動があって口論になり、まくらが飛ぶ。だんだん激しくなり最後には袖幕からもたくさんまくらが飛んできて部屋はまくらだらけになる。実に痛快で思わず客席から歓声と拍手が上がる。流れの中ではこんなことも不自然ではなくなるのが舞台に許される「舞台の真理」なのだろう。

 みんなの憧れカイト君はどんな男性だったか?女性かと思われるようななよなよとしたやさしそうな男の子だった。ぼくは女性が演じているのかと思った。ここに作者の醒めた批評眼がなにげなく置かれている。たくましい美男子だったら劇はマンガチックになるだろう。こういう演出がありふれた活字を劇に立ち上げるのだ。しかも説明的な台詞はなしに役者の存在そのもので。
 
 ラストは5人が並んで、世界の国の名前を次々にあげるゲームをする場面。・・カンボジア・・アフガニスタン、イラク・・・戦争があった国、戦争中の国が浮かび上がってくる。何気ないようで、思わず緊張している自分に気がつく。活字で読んだ時にはこじつけた平凡な終わり方だと思ったが、舞台では違った。劇は活字ではないことを改めて実感した。

 アキラ先生は個性的な生徒たちと比べると、類型的な先生の範囲内に収まっていて物足りないところがありましたが、この劇の成功は、一人一人を浮き彫りにし人間関係の絡みを見事に演じて観客を惹き付けた生徒さんたちの達者な力、それを引き出した演出の力量にあると思いました。寝ている活字を見事に生き生きと立ち上げた青森中央高校の劇でした。
 作者の前畑先生は、劇団「弘前劇場」役者兼演出家兼脚本家でもあり放送作家として数々の賞を受賞(ラジオドラマ部門文化庁芸術祭大賞、ギャラクシー大賞、日本民間放送連盟賞で最優秀賞、今年は日本劇作家協会2005熊本大会で短編戯曲コンクール入賞・作品名「俺の屍を越えていけ」。大活躍中の先生です。今後がますます楽しみです。

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

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