釈迦内棺歌

釈迦内棺歌、観ました。
本格的な批評は洲浜先生が書かれるのを待つことにして、
僕なりの感想(というより分析)をまとめてみます。


劇を観おわって、何人かに感想を聞いたけども、面白いことに「すばらしかった」という人と「つまらない」という人と、評価が両極端でした。
ちなみに僕は「よかった」という側の評価です。

この「釈迦内棺歌」は、僕が今までに見たことのないタイプの劇でした。

僕の馴染み深い、劇研『空』の劇はストーリー重視で、一つのクライマックスに向けて盛り上げていく形式です。
一つのテーマ、主張があり、それをスジとして通していて、ストーリーを味わうことに重きを置いています。

一方、釈迦内棺歌はストーリーというものは短く、すべてが独り語りか回想で、常に主人公の主観に立っています。
「花岡事件」という重い史実を扱いながら、中心に据えず、隠亡の子として差別を受けてきたという描写も、テーマではありません。
間の取り方等をみても、主人公フジ子の感情の動き、思いをじっくりと見せるように、劇の組み立てがされているように感じました。
ただ、全編を通じて、「死んだら上も下もない」という視点を貫いている点では、それがテーマかな、と思います。

『空』の劇がスジの通った立木とすると、釈迦内棺歌はその横断面、年輪を見ているかのような見せ方の違いを感じました。
ストーリーを直接的に見せるのではなく、わざと隠して感じさせるような、なんといいますか、まぁ判り難いのは確かでした。なるほどこのような表現もあるのか、と驚きました。
見た人それぞれに、評価が分かれるのは、そんな劇の形からだろうと思います。
フジ子の思い・感情に共感できなければ、ただ他人の思い出を聞いてるようなものです。

そして、技術力の高さはさすがでした。
演技、照明、音響、大道具等々すばらしかった。

開演前に勝部文化協会会長から「勉強しなさい」と言われましたが、確かに勉強になりました。
2,000円でこれが見られたことは良かったなぁ。

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