「詩集や本の紹介・感想」カテゴリーアーカイブ

井上嘉明著 評論『鳥取の詩人たち その他』

鳥取のの詩人・井上嘉明さんが2012年7月に詩の評論集を出されました。258ページ、1500円、発行所は流氷群同人会(鳥取市生山54 井上方 0857-51-8459)。10月14日の山陰中央新報、読書蘭で書評を書きましたので紹介します。井上さんは詩誌「日本未来派」「菱」の同人、文芸同人誌「流氷群」編集同人、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、中四国詩人会に所属、現在は鳥取県現代詩人協会会長です。

 

井上嘉明著「鳥取の詩人たち その他」         隙間を埋める綿密な評伝  

この本は、著者が所属する詩誌「菱」、「日本未来派」や「鳥取文芸」「流氷群」「日本海新聞」などに五十年間にわたって執筆した詩人の評伝や詩人論、詩論などを一冊にまとめたものである。  多数の詩人や詩集が長短様々な評論で取り上げられ、詩人の未知の部分が明らかになり、生き様が浮かび上がってくる。  本は二章で構成され、第一章は「鳥取の詩人たち」で十七本の評論がある。冒頭は伊良子清白。「伊良子清白の岳父・森本歓一のこと」「清白の義母しまとその周辺」「清白と千代川」「清白終焉の地へ」など。

清白は詩集「孔雀船」で有名な詩人。明治十年鳥取市河原町で生まれ、生後母と死別、義祖母に預けられ、九歳のとき医者の父と大阪へ移り、京都医学校を卒業。その後は横浜、大阪、島根(浜田)、大分、台湾、三重県と漂白を余儀なくされた。著者は清白の家族関係や土地との関係を綿密に調べ、足跡をたどり、終焉地の大紀町を訪ねる。清白に関しては多くの著書があるが、欠落していた細部を埋める貴重な評論である。

つづいて「尾崎翠と高橋丈雄の周辺」「尾崎放哉と定型詩」。山下清詩集「白銀の大山」、清水亮詩集「軍歌時代」、田熊健、小寺雄造の詩人論。いずれも端正な筆運びで詩の特徴と詩人の拠って立つ基盤を浮き彫りにする。

第二章は二十本の評論や詩論から成る。「朔太郎と〈防火用水〉」「三好達治と〈馬〉」「金子光晴と〈水〉」、さらに中野重治、木原孝一、石垣りん、田中房太郎、西岡光秋、などの著名な詩人たちの面白いエピソードや著者との交遊などが伸び伸びと書かれ楽しい。

この章の最後には「戦後詩に出会うまで」「詩とカフカ」「あるがままの〈物〉」など著者自身の詩歴や詩論などが置かれている。どのように詩と向かい合ってきたか。十冊の詩集がある井上詩の核が垣間見える。

あちこちに書かれた貴重な評論をまとめて読めるのはありがたいことである。   (日本詩人クラブ会員 洲浜昌三)


2012年10月、中四国詩人会・岡山大会で、中四国詩人賞選考経過を発表する井上さん。受賞は岡山、河邊由紀恵さんの詩集『桃の湯』。とても深い読みでしかも的確な評価を端的に紹介されました。河邊さんの詩集についてはこのブログでも紹介しています。

岡山大会についてはそのうちこのブログで紹介します。

H24 写真集「石見の昭和」発刊

この8月に「石見の昭和」が発売されます。津和野から大田まで、石見の風物など約800枚の写真を収録し解説をつけた大判の写真集です。その写真を大きく載せたチラシの新聞折り込みが4回あり、書店へ行くと何枚も窓や壁に貼りつけてPR中。本をこのように大々的に宣伝するのは珍しいことです。

発行は新潟県長岡市にある株式会社いき出版。発売元は島根県教科図書販売株式会社。A4版、上製本、280パージ(カラー写真8ページ)、9990円。市内では昭和堂やジャスト、江藤商会、仁万のたぐち文弘堂などで予約中。ある書店で聞くと好評で予約も多いとか。確かに記憶からも消えていく懐かしい昭和の風景がふんだんに出てきますので、手元に置いておきたい気がします。

5月のある日、ある大先輩から手紙がきて、「石見の昭和」という本をだすのでその中の大田の写真約70枚の解説を書いてくれとのこと。忙しいとか歴史学徒ではないとか大田生まれではないとか写した写真の意図が分からないとかいろいろ電話でも抵抗したのですが、説得に負け書く羽目になりました。いろいろ資料を集め、人に聞き現地へ行って写真に撮り、どうにかそれぞれの写真へ約100字前後の解説を書きました。第一校正、第二校正が6月末に終わりました。次の写真は第二校正のゲラです。

さて、次の写真は大田市内のどこでしょうか。現在は車の往来が多い大田市内の主要道路です。昭和40年頃にはあった風景ですが、今はまったくその面影も見えません。変わらないのは泰然自若とした山だけです。

ぼくはいくら考えても分かりませんでしたが、長久のどこかではないかと思いました。ある人に聞いたら、稲用だ、ある人は久利の行恒付近だ、と喧々諤々。あるときマイサンがいいました。「○○○じゃないかな。山の形からそうじゃないかと思う」。でも手前の川や木橋などから考えると自信が揺らいできます。決定的な手がかりは見つからないのです。

ある日管理人修平さんに見てもらうと、稲用かな、という返事。ところが2日後メールがきました。決定的な資料でした。

さてそれはどこか?写真をどうぞ。市民会館のそばにある宮崎橋の南詰め付近でパチリ。通称は産業道路です。
  昭和も遠くなりにけり、です。

河邊由紀恵詩集「桃の湯」 第12回中四国詩人賞

2012年6月30日、岡山の国際文化センターで第24回中四国詩人会理事会が開催されました。役員移動や会計報告などのあと、鳥取の井上嘉明選考委員長から、第12回中四国詩人賞の選考結果が発表されました。受賞は岡山の河邊由紀恵さんの詩集「桃の湯」です。受賞式は10月13日に岡山の「ピュアリティまきび」で開催される岡山大会の総会で行われます。

「桃の湯」はとても豊かな感性にあふれた詩集です。難しい言葉はありませんし読みやすい詩ですが、理解してもらうことを意図した詩ではないので、感覚でどのように受け止め感じるかがポイントです。

固有名詞や具体的な名詞や具体的な行動が出て来ますので、それを杖にしてついていくと予期しない抽象的な場所に連れ出されています。その場所がどこなのか。実際にあるのか。ありそうな懐かしい場所なのだがはっきりしない。作者はしなやかな表現で、飛躍の多い行換えや、遠いイメージの連などを自在に挟んで、読む者の想像を喚起し揺すり迷路へ誘い、どこまでも拡げていきます。

形容詞や副詞などの表現がとてもユニークで、霧のような、軟体動物のような、液体が流動しているような、境界がとろけていくような、何ともいえないさわやかな空気や色気や触感、感覚を生み出しています。不自然さがないのであまり意識しない人もあるかも知れませんが、意図的に使われていることは確しかです。

詩集は次の20編から成り立っています。

冒頭は「母の物語」、途中に「妹の物語」、最後は「祖母の物語」。それぞれ散文詩ですが不思議な世界へ迷い込みました。他の詩はこの3作品のサンドイッチになっていますが、ここにも作者の意図を感じました。

この詩集は2011年5月に思潮社から出版されています。定価は2400円+税です。

10月13日の中四国詩人会 岡山大会では、岡隆夫先生の講演「英米現代詩と私の詩論」と共に、くにさだきみさんと岡先生の対談も行われます。おもしろい話しが聞けそうで楽しみです。

各県代表による詩の朗読もあります。島根は閤田真太郎さん、鳥取は花房睦子さん、山口は竹原よしえさん、広島は長津功三郞さん、香川は宮本光さん、徳島は堀川豊平さん、高知は小松弘愛さん、岡山は武田利さん、則武一女さん、以上が現時点では予定されています。

アトラクションでは立石憲利さんの「民話の語り」があり、これまた楽しみです。

季刊 『高校演劇』214号紹介します

「高校演劇劇作研究会」は130人くらいの同人からなる季刊の高校演劇脚本誌です。全国で創作を手がける有力な高校演劇の顧問や like me  のようにモトコもなどが同人です。全国大会前には分厚い全国大会号が出て同人の創作脚本が掲載されます。今年(平成24年)は同人である島根の亀尾佳宏先生の『異伝 ヤマタノオロチ』も載るはずです。今までの高校演劇で例のない出雲神話を素材にした意欲的な作品です。楽しみです。

読みたい人はこの『高校演劇』を買って読むしか手がありません。定期購読は1年分で6000円。色々な脚本が掲載されるのでとても勉強になります。1冊は700円、全国大会号は1500円。送料は別です。

2月のある日、事務局長の柳本博さんからメールがあり、213号の読後感を書いてほしいとのこと。了承したものの、書棚から取り出してみればベテランの脚本が並んでいる。恐れ多かったけど何度も読んで感想を書きました。字数が少ないので十分意を尽くせないところもありましたが、メールで原稿を送りました。先日214号が届きました。この本を読む人は限られていますので、本のPRを兼ねて、写真などとともに紹介させて戴きます。

『『高校演劇』213号 読後感                                   洲浜 昌三

『無心駅』                           宮島 宏幸  
無人駅で三人の女学生ギャルが体を売って稼いだ金を計算している。会話も露骨。真面目な奈美を仲間に誘う。父との不和で投げやりになっていた奈美は誘惑に負け、男と関係する寸前に逃げてくる。ヴォランティァで駅を守っている老女が、むかし家が貧しく売春をしていたと語り奈美を慰める。改心したかに見えたが…。場の設定もいいし方言も生き劇の組み立てもいい。売春問題に突っ込んだ勇気も買いたい。だがあちこちで人物が作者に都合よく動かされている印象が残る。他人に売春の経験を語るには血を吐くような必然性を仕組まないと「激」が額縁の風景になる。独創的な切り口がほしい。


『ビミョー』                         若林 一男
   「一秒先は闇」。そんな舞台を創ってみたい。それは無理でも作者はそれに近づこうとしているかのようだ。そのためにはあらゆる方法で観客のイマジネーションを搔き立て掻き乱し揺さぶる。異化、変化、落差、笑いは最大の武器。行動を先行させ台詞は説明臭抜きで短く即物的。複眼どころかこの作者は超複眼。脚本を読んでいるだけでも面白い。作者が演出すれば更に面白い舞台になることは過去に見た劇で立証済み。不登校の娘が吉川レンタルのバイトで家族を演じ、担任に語る言葉や祖父の言葉には深い真理が覗く。十一の場面から成る劇だが、観客にバラバラの印象を残す可能性はある。インパクトのある一つの宇宙を舞台に現出するためには各ピースを貫く透明な太い棒が欲しい気がする。

『ソフトなんか大嫌い』        市村 益宏  
脚本だけでは特に面白いとは思わなかったが、舞台で元気な高校生が演じるのを見たら間違いなく楽しいだろう。力強い合唱が何度もある。打順紹介も歌形式。ソフトボールの試合場面もある。きびきびしたリアルタイムの動きやテンポのいい会話の交錯。ダイナミックな動と静。幽霊になった三人の昔のソフトボール部員がいつも出てきてちょっかいを出し昔の部のことを語り単調になる流れを止め劇に奥行き出す。淡い恋もある。演じる者も楽しいだろう。最後の顧問の台詞は劇を平板化したかもしれない。幽霊さんを生かして劇を立体化できなかったか。(言うのはいつも簡単だ)


『みんなでロミオとジュリエット』   淺田 太郎  
名作の枠を利用して創作するのは面白い試みだけど難しい。枠を越える肉盛りに力量がいる。この劇はよく健闘していると思う。モンタギュー家とキャビュレット家の対立を、富丘高校演劇部と聖キャビュレット高校演劇部の対立に置き換え、台詞も重要場面ではシェイクスピアの台詞を再現して面白おかしく劇を展開する。枠の中に巧みに両校演劇部の対立や人物を融合させている。意外なストリー展開も面白く楽しい。高校演劇とは何か。それがテーマだが、大会にこだわり過ぎたり審査をやり玉にあげるなどは面白いが通俗に流れる気がする。

 

4つの舞台写真は『高校演劇』のグラビアから紹介させていただきました。最近はこのようにカラー写真が掲載されるので舞台のイメージが具体化されていいですね。

ホームページもありますので検索してください。本を注文したり問い合わせをされる場合は次のFaxでどうぞ。03-3930-8477  高校演劇劇作研究会事務局 柳本博

『続・人物しまね文学館』予約受付中です

山陰中央新報で連載された『続・人物しまね文学館』が本になり5月1日から発売されます。島根県詩人連合では販売に協力するため買取予約をしています。購入希望者は(島根県詩人連合会員でなくても可です)洲浜へ申し込んでください。送料は発送者が負担します。

 

詩人連合では100冊ばかり予約購入します。その中からすでに約70冊は購入希望があります。20冊注文という人もあります。冊数によっては割引も考えていますので電話かメールでお知らせください。 予約があれば振込用紙をお送りします。

大田市では市内の昭和堂書店で販売の予定ですが、同店では目下予約注文中です。

 

島根の詩人 閤田真太郎

山陰中央新報が連載していた「人物しまね文学館」が2012年2月24日の村尾靖子さんで終了しました。その前の2月17日には浜田の詩人・閤田真太郎が掲載されました。それを少しだけ追加して紹介します。文中の写真は参考のために載せたました。新聞では顔写真だけです。

      
ー開拓の重い生を歌う詩人   ー       閤田真太郎    
                                                   洲浜 昌三

国道九号線を車で西に向かい江津、都野津を過ぎると、やがて右手に波子海岸が開けてくる。左手に水族館アクアスを見て道路に架かる近代的な陸橋をくぐると、そこは浜田市久代町。日本海を見渡すと広い湾の両端に柿本人麻呂が詠んだという「からのさき」が見える。左が斉藤茂吉が想定した浜田市国分町の赤鼻。右が沢潟博士が指定した江津市波子町の大崎鼻。

「二つの岬に抱かれた海岸線は東西に四千米/息子よ/標高六十米のこの赤土の丘に立てば/おまえの産土の土地と/これだけの”もの”が一望の許に見える/西へ眼を移動していくと/微かな水平線の描くふくらみが見える/略/十六歳の暑い夏/父はしばしば その地球とたわむれたものだ/」(「一行の言葉」の一部)

この一帯は一昔前まで荒涼とした砂浜だった。  敗戦の翌年の1946年、12歳の閤田真太郎は家族6人で朝鮮から引き揚げてきた。父は朝鮮運送会社の幹部で出身は石川県だったが、病弱な妻子のことを考え、上府町の妻方の親戚へ身を寄せ、翌年この久代開拓地へ入植した。  家族全員で働いた。有機物のない砂地へ山から土を運んだ。水おけを担ぎ深夜まで潅水した。篠竹を並べた垣は強い季節風ですぐに埋まり、その上へまた垣を作った。食料もなかった。

「汝は毎日何を食べて生きているや?/御飯ですがー/どっと失笑が湧く/ごはんだと∥おまえんとこは∥未成南瓜の浮いた/おかゆだろうが∥(略)村にあふれたソカイ者は/村にぶら下がる引揚者たちは/米の飯など喰える筈もない」(「ごはん」)

十年ばかり芋と麦が主食だった。杉皮の屋根から雨漏りがした。過酷な環境を切り開いていく父を尊敬した。その父が75年に他界。2年後、父・真三郎の霊に捧げ、詩集『背後の瞳』を益田の白想社から出した。

「その人はもう居ない/だが 丘の上にいつも居る/時には 巨人のように立っている/略/そのひとの 大きな眼差しが背を灼く」(「丘の上のひと」)

そこもうにいなくても閤田は背後に父の瞳を意識する。父は大きな存在だった。

幼い時から本が好きだった。中学2年頃から詩を書き、10代後半に本屋で『詩学』に出会い投稿し始めた。浜田高校文芸部にいた弟を通して、浜高在学時は文芸部長だった山城健を知り、同世代の文学の風に触れ文学書を乱読。草野心平や萩原朔太郎など詩集は徹底的に読んだ。

36歳の秋、偶然汽車の中で「石見詩人社」とネームが入ったリュックを背負った詩人キムラ・フジオに出会い同人になった。「黙々と作詩していた氏は僕が評言を挟む余地のない完成した詩人だった」(キムラ)。

精力的に詩を書き発表し始めた。個人誌『からのさき通信』を出し、『潮流詩派』や『垂線』に一時所属、95年から東京の甲田四郎らと『すてむ』を創刊した。

(「すてむ」149号の表紙。同人は甲田四郎、川島洋、田中郁子、松尾茂夫、水島英己、長嶋南子など12名。発行所は143-0016大田区大森北1-23-11甲田方 すてむの会)

1974年に第Ⅰ詩集『冬の蛙』を出し、”その細密画に狂気と魔法を感じた”という池田一憲との出会いから詩画集『博物誌』が生まれ、その後『かんてらのうた』『脊椎動物の居ない土地から』を出した。

高踏な思考や知識、才気から生まれた難解な詩もあるが、そういう場合も大地と闘ってきた開拓者の重い生が詩の底流にある。

1975年から二代目島根県詩人連合理事長を三年間務め(現在は理事)、1990年には日本現代詩人会会員になり、中四国詩人会発足と同時に会員になった。

地域との結びつきが強いのも閤田の特徴である。1972年に石見詩人同人の熊谷泰治や大野卓、青笹信夫らと図書館で「詩情展」を開いた。これが「子どものうたを育てる会」に発展。石見文芸懇話会のバックアップを受け、多いときには千点以上の小中学生の俳句、短歌、詩の選をし『石見のうた』にまとめ、三十集まで刊行した。現在、石見文芸懇話会事務局長、浜田市文化協会副会長、浜田市土地改良区監事。地元の消防団や青年団では副団長も務めた。

 (富田砕花賞受賞式の写真ですが、テレビの画像を写したので輪郭が不明確です。受賞者は閤田さんと神戸の永井ますみさん。永井さんは米子の出身です)

2010年に第六詩集『十三番目の男』を出版した。縄文から現在に至る村の歴史を語る遠大な視野の散文詩などは饒舌だがインパクトがあり、苦楽を共にした母と妻を追悼した詩などは心を打つ。この詩集は「感動的な農民詩集」と評価され、第21回富田砕花賞を受賞した。

開拓農民として土地や風物、そこいに生きる人々の生を凝視しながら、閤田は、水平線の彼方に「全円の地球」を見ようとする知的でスケールの大きな詩人である。

(浜田で開かれた「石見詩人」の合評会で閤田さんとくりすさん。富田賞受賞のお祝いもしました)

新聞の紙面を紹介します。

連載された58人の島根ゆかりの文人は本になって5月初旬に発売されます。 目下3次校正が終わったところです。要請を受けて島根県詩人連合では『続・人物しまね文学館』を買取ることになっています。定価は1600+税80円。希望があれば(送料等は当方負担)お送りします。どんな人物が取り上げられているかについては、そのうち紹介します。

 

活躍した郷土の人々『大田市人物伝』紹介

2009年9月(11月に改訂版)『大田市人物伝』が発行されました。発行所は聴聲会(大田町大田イ44-2)。37人の大田市出身の有名な人物を取り上げてその生涯や活躍の様子を分かりやすくまとめています。よく調べかたよることなく、分かりやすい簡潔な文章で書かれています。その人物の全体像をつかむためには格好の本です。小学生から大人まで幅広い層を対象にしていますが、大人が読んでもとても参考になります。読み物、朗読、集団討議にも最適ですが、人物百科事典として利用するのにも便利です。

選ばれた人物は37人ですがみな立派な業績を残している人たちです。大田の人たちでも名前を知らない人がかなりあると思いますが、その道の第一線を歩いた人たちや、独自の個性的な生き方をした人、地域に大きな貢献をした人たちだということがわかります。目次を紹介してみましょう。

 

 人物を取りあげる際に市内で片寄らないように人選されています。また物故者に限定されていますから作詞家の岩谷時子さんやヴァレーの石田種夫さんなどは日本のトップクラスの人ですが載っていません。たくさんの候補をリストアップされ、厳選して37人にしぼり込まれたそうです。続編が欲しいところです。

文学の分野では詩人の木島俊太郎氏(山陰中央新報連載中の「人物しまね文学館」でも取り上げた)が載っています。偏りがなくその業績を客観的に紹介されていて感心しました。テレビや歌謡の世界で活躍された林 春生氏(昭和12~平成7年)は大田市大屋町の出身だとは知りませんでした。作曲は400以上、その中にはたくさんのヒット曲があります。「思い出のカフェテラス」(淺田美代子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)、「白いギター」(チェリッシ)、あげたらきりがありません。「サザエサン」の主題歌も林さんです。廃校になった大屋小学校や久利町の久屋小学校の校歌も作詩しておられます。

編集委員は白石政登、松本宗一郎、郷原実朗、児島光明、山内俊雄、和田秀夫のみなさん。長い間小、中学校で教育に関わってこられたベテランの教育者です。

編集委員長の山内俊雄先生は「あとがき」で次のように期待を書いておられます。
「~ この人物伝が、幅広い年齢層で活用され、なおその上に、子どもとと大人の共通の話題、学習の場になることを願い、なかんずく若者の将来への生き方に役立ちことを期待します。~」

ぜひ活用してほしいものです。市内の人に限らず日本中のどこに住んでいる人たちにも大きなものを心に残してくれる本です。

 

(購入したのは発行直後でしたが、紹介が遅くなりました。この中の人物についていつか紹介してみたいものです。郷土を知ってもらういい教材になります。「人の生き方」に触れるこは最高の教育です)

 

島根 津和野の詩人 中村満子

山陰中央新報では目下、「続人物しまね文学館」を週1回(金)文化欄で連載中です。2012年2月3日に、57番目の人物として津和野在住の詩人・中村満子さんが掲載されました。文章を少し追加し詩集の写真なども加えて紹介します。

孤高の歩み詩集に結実       洲浜昌三

伝説の詩人である。奔放に詩を書き若い異色の詩人として注目されたが、忽然(こつぜん)と益田から消え鹿児島にいた。詩人としての存在が忘れられたころ、津和野にいて8冊の感性豊かな詩集を立て続けに出した。

中村満子(なかむら・みつこ)は1926(大正15)年2月、益田市益田徳原で生まれた。父には9人の弟妹がいて大家族。本宅と弟妹たちの住居が広い地所に連なっていた。祖母は病気、祖父は古神道「神理教」の神主。満子の父とはいさかいが絶えなかった。3人の子供を抱えた母の「息づまる血みどろの家業」を見て長女の満子は育った。県立益田高女から津和野高女補習科へ進み、43(昭和18)年卒業。当時の東仙道小学校で教職に就いた。

数年後、相次ぐ不幸が彼女を直撃した。耐え切れず母が家を捨て実家へ帰った。そこで子宮がんを患い「納屋を借りて身を細くしていた母」を妹と看病した。満子は自分のタンスから着物を出し金に何度も替えたという。

「座ったままで事切れていた母を見て/詫びるより先に/姉妹は手を取り合ってよろこんだ/このよろこびとは何だろう/つぎの瞬間/姉妹は言い合わせたように身震った」「愛の裏腹にある罪/逃げ果たせない闇/それは若い娘とおさげ髪の少女にとっては/あまりにも早すぎた問いであった/やがてよろこびは/妹の自決を生む引き金となり/私の母になる夢を殺していった」(「ときに激しく」)

母の死に続き祖父母の死、58年妹の自死と父の死、離婚(久保姓から中村へ)。「母の悲惨な人生と最期。姓と生は私に深い衝撃をもたらした。生きる不安と抵抗。それは生そのものへの疑惑、反逆に発展したこともあった」。10年後、とどめを刺すように本人の子宮筋腫全摘出。

詩はキムラ・フジオとの出会いから書きはじめた。『詩歴』(54年創刊)や『石見詩人』の同人になりカットや表紙も描いた。「奔騰湧出する詩篇をなぐり書きして持ち込み」、ある時は発行遅延に業を煮やして「積み重ねた詩稿を掴んで河原で焼きすてた」という。

キムラは脳神経障害で苦しんでいたが、満子の多数の詩篇から24編を選び詩集『赫い日々』を出した。奔放な詩と母の悲惨な死を直視し、女の実存的な痛みから生まれた詩は赤裸々で強烈だった。「私の詩の原点は母にある」という。3年後に妹にささげた詩集『花の種を播く』を出版。この時期、東京の『潮流詩派』や岡山の『黄薔薇』にも所属していた。この第2詩集の詩は『潮流詩派』に書いたものを中心にして出版した。『黄薔薇』には短期間しかいなかった。

62年春、満子は「忽然と姿を消し」「数年後一通の便りがあった」(キムラ)。手紙は鹿児島からだった。彼女は阿久根市、出水市の小学校で「まともに子供たちと向き合う」充実した17年を過ごした。詩は突発的に2度『石見詩人』へ送っただけだった。

78年に定年退職。弟がいた津和野に住んだ。頼まれて絵や寸感を色紙に書き、店頭でもよく売れた。しかし欺瞞(ぎまん)も感じ、90年に自ら短期間『山陰詩人』に加入、堰(せき)を切ったように再び詩を書き10年で8冊の詩集を出した。92(平4)年『花もよう』『夕映えて』、93年『卵のゆくへ』。94年日本現代詩人会入会。『水滴』『天の風』『ウォーキング』、詩画集『落書き三昧』。2002年に『苦笑の頷き』を出し再び詩から離れた。現代詩人会もそのうち退会した。

「あの頃のように/傷を裂き ひろげ/血の鮮烈な美しさに/酔うことは/もう決してありません/狂奔する時を衝き/粉砕して/その痛みを/存在の証とする/雄々しさも/すでに/どこかに消えております∥楓の葉が/風と戯れております/その姿をなつかしみ/いとおしみながら/わが来し方/人生は/空に漂い/流れる/一片の浮雲に/似て」(「浮雲」)

激しい情念で拒否し、潔癖な知性で守ろうとした孤独な魂の風景はここにはない。静かな港へ入ってきた船乗りの目に映る穏やかな風景である。その帰港地、津和野で次の詩集『夕やけ』を準備中という。

(島根県詩人連合理事長、「石見詩人」同人 日本詩人クラブ会員)

 

掲載された新聞を紹介させていただきます。読みたい人は図書館か新聞を買って読んでください。5月初旬には本になる予定です。何のコウカもありませんが、今から宣伝しておきます。欲しい人はどうぞ申し込んでください。まだ決定していませんが定価は1600くらいです。山陰中央新報社でも洲浜でもOKです。2月17日には浜田の詩人・閤田真太郎が掲載される予定です。これが最後の掲載になると思います。

紹介した詩集の中に第1詩集『赫い日々』だけありません。どこを捜してもないのです。だれかある場所や持っている人を発見したら教えてください。中村さんの次の詩集『夕やけ』はこの春には出版されます。3月か4月か5月か…。期待してください。

『高森 章 脚本集』紹介

2011年11月11日、岡山県の高森 章先生が脚本集を出版されました。高森先生は長い間、高校演劇の顧問として活躍され、特に創作脚本を退職までに29本書かれました。その中から6本が掲載されています。また高校の演劇部時代から顧問になってからの各校での思い出や記録も載っています。貴重な本を拝受しましたので紹介します。

高森先生は昭和40年、岡山県立津山高校の1年の時から演劇部員だったそうです。最初の8ページには高校時代や顧問になってからの各高校での写真がカラーで掲載されています。津山工業高校と津山東高校勤務が長かったのですね。風景として紹介します。

参考までに各高校で創作された脚本を紹介してみます。ぼくは中国大会へ出場されたときの劇を何本か観ています。その土地の風土が滲み出てくる舞台でした。流行に乗らず、自分たちの分を心得て地道にそして素朴に劇を創っていくという印象が当初から残っています。いつも落ち着いて話され重厚さや風格もあり、ぼくより先輩だとずーっと思っていました。

 本には次の脚本が掲載されています。「黒土にうたう」「冴えかえりつつ」「高原の花嫁」「夢の中で」「麻衣子へ」「まゆみのマーチ」(津山東高校が全国大会へ出場したときの作品)

「最後に」という欄で、創作劇について書かれています。参考になるのでポイントを書いてみます。

・反省の40年:「振り返ってみると、ただ反省、反省、ばかり」ではじまり、「プロットの作成や組み立ては2ヶ月くらい頭の中で行う」とあります。「大きな幹を立て、枝葉を切り取って行く作業。話し言葉で書くこと」「伝えたいテーマを一本に絞り込む。書きたいことはいろいろあっても、それを残しておくと、本当に伝えたいテーマがぼやけてしまう」「読み返してみてはずかしくなった。今多ったら絶対に書かない、書けないといクサイ台詞が各所に見える」「満足のいく脚本は29本のうち4本くらいか」

同じくらいの本数の脚本を書いてきた者として、まったく同じ思いです。年月や経験の篩い(ふるい)を経なければ見えて来ないものがあるんですね。その時は見えているつもりなんだけど・・・・。本物を見るためには、見ている自分を見る第三者の目が必要なのでしょう。

中国地区の高校演劇で脚本集が出ているのは広島の伊藤隆弘先生(門土社)島根の洲浜昌三くん、広島の(門土社)藤田 卓先生、岡山の高森 章先生(私家版)。現在中国地区5県で有力な書き手が活躍していますので何らかの形にして記録として残し、必要に応じて読めるようになればいいですね。高森先生、おつかれさまでした。

藤田 卓 戯曲集『豊島屋物語』 出版

平成23年7月、藤田 卓 戯曲集『豊島屋物語』が横浜市の門土社から 出版されました。「戯曲満開坐」シリーズの第1巻です。藤田さんは広島県の高校で演劇部の顧問をされ、数多くの個性的な脚本を書いてこrかれました。本の中で伊藤隆弘先生が「時空を越えて紡ぐ人」として詳しく紹介しておられます。

      6編の脚本が載っています。
『半鐘の村』『むかしを今に』『波の都』『豊島屋物語』『港はいつも春なれや』『移民船安寧丸』。それぞれの脚本が高校演劇のレベルを突き抜けたしっかりした脚本です。高校生が上演しても感動的な劇になると思いますが、社会人が上演すると更に迫力のある劇になるでしょう。卓先生の劇は何本か見ていますが、高校演劇特有の甘っちょろさがないことです。会話もストリーも歴史的なまた社会的なフィルターを通過して生まれたものです。初期の作品は高校生の群像を描いたものが多いのですが、高校生だけの世界ではなく歴史や社会の中で生きている高校生が描かれていました。それがとても印象に残っています。
卓先生に平成23年度の広島県高校演劇大会で久しぶりにお会いしました。元気でした。脚本を贈っていただいたのでお礼を言い感想などを話しました。夜の顧問研修会にも出席されました。

本の「あとがき」を紹介しましょう。卓先生が洲本高校、三和高校、廿日市西高校、観音高校の演劇部の皆さんと共に汗と涙を流して創った劇への思いがよく伝わってきます。

本の価格は1200円。しっかりした装幀の本です。本の出版には経費がかかりますが、長年の仕事の結果をこうして本という形にして残されたことは貴重なことだと思います。おつかれさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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